山口美智子『機と秩父』

 かつて秩父の主力産業だった織物業をめぐる聞き書き。
 これだけまとまった聞き書きは今までなかったので、じつに貴重だし、これを読むことで秩父という地方に対する印象がずいぶん変わった。

 秩父の織物業は銘仙を中心とする絹織物と思っていたが、必ずしもそうではなく、各種の素材・各種技法を使った一大繊維産業だったのであり、織物の生産だけでなく、染色・整理・流通に多くの人々が関わった、大産業だったということがわかる。

 この本で語られているのは、主として昭和戦前期から昭和末年ごろにかけての秩父織物業である。
 開港後の生糸景気により秩父絹織物はいったん衰退し、松方デフレ後になって銘仙を中心に復活したと、机上の勉強で理解していた。
 おそらくそれは大筋で間違っていないと思う。

 昭和初期の秩父は、ひどい恐慌に見舞われていたはずだが、本書にはその話はほとんど出てこない。
 絹織物業のダメージは、さほどでなかったのかもしれない。

 織物工場は郡内各地に叢生し、「賃機」と呼ばれる家内機織りも盛んに行われていた。
 労働形態は年季奉公が中心だったようだ。年季奉公の体験を語ることができる人は、本書に登場されている人々が、おそらく最後の世代だろう。

 戦争末期には、金属供出や糸不足のため、織物業はほぼ壊滅し、戦後になって復活する。
 糸の供給が軌道に乗ってから高度成長期までが、秩父織物業の黄金時代だった。
 現在の自分の職場に染色科が設置されたのは1952(昭和27)年だったらしいが、地域にとって繊維関係の勉強ができる学科は、待ち望まれていたと思われる。
 本書でも、この時代に関わる証言が最も多い。
 織物業だけでなく、その周辺産業に従事する人々を含めれば、じつに多くの人々が繊維産業に従事していたのである。

 繊維産業の景況に陰りが出てきたのは、1970年前後らしい。
 日米繊維交渉が大詰めを迎えていた頃である。
 秩父の繊維産業にダメージを与えたのは、グローバル経済のハシリだったようである。

 人間にとって「衣」は、「食」とともに、生きる上での基本である。
 秩父の織物技術が完全に消えてしまったわけではないが、それが風前の灯であることは、事実である。
 商品のデザインも技術も、地域に根ざした日本文化である。

 「食」や「農」の文化ともども、消えてはいけないと思う。

(ISBN978-4-87891-428-7 C0039 \3000E 2016,3 さきたま出版会 2016,7,20 読了)