栗田良助『悪惣』

 武州世直し一揆を、指導者の一人とされる下成木村惣五郎を中心に描いた小説。

 小説とはいえ、武州一揆がどのような性格の一揆だったのかについて、基本的な押さえが必要だと感じる。

 本作品に出てくる惣五郎の一揆指導者たる動機は義侠心である。
 一揆であるかぎり、この要素が大きいのは間違いないだろう。

 しかし、彼らの究極の蜂起目的となると、本書では、焦点がぼやけてくる。
 作品には「岩鼻代官所襲撃」の意図が書き込まれてはいるが、それがどのような世界の実現をめざしたのか、読者にはわからない。
 もちろん、歴史家にもわかっていないのだが、そこは小説なのだから描く気になれば描くことができたのではなかろうか。

 武州一揆は、「世直し」を目的とした。
 「世直し」とは、なんら政権構想をもつものでなく、漠然たる変革願望の表明だった。
 彼らの理想は、経済的にフラットな状態だったから、「有徳」のもの(すなわち富裕な人々)の居宅や財産を破壊することによって、そのような状態に近づけることを意図したのであり、それを民衆は「正義」の実現と受け止めたのである。

 実際の一揆においては、幕藩権力(例えば川越城や大宮郷代官所)と激突する場面もあるのだが、それは幕藩権力が上記の目的を阻害するから敵対したのであって。幕藩権力そのものの打倒を意図したものではなかった。

 世直し一揆指導者は政権構想を持っていないから、一揆の広域化は、連鎖反応の結果であって、最初から計画されていたわけではないと思われる。

 小説の中で、惣五郎が一揆の制御に当惑する場面が出てくるが、世直し一揆指導者にとって、一揆勢の制御など最初から不可能だと思われ、一揆をコントロールしようとする意志があったかどうかもわからない。
 一揆が起きた時点で、指導者にとって目的は達せられたと考えるべきだろう。

 小説としては、惣五郎・紋次郎・豊五郎らの人物像に明暗の光を当てたほうが、重厚な作品になったように思う。
 彼らに共通するのは義侠心だが、人間像はさまざまだっただろう。
 史料に出てくる彼らの所持品は貧しいものだが、それだけで彼らの経済状態を推し測れるとは限らない。

 おそらく彼らは、職人同士のネットワークに深く関わっていた人々だった。
 ことによると、そのようなネットワークの中で重きをおかれる立場だったかもしれない。
 そんな描き方もあったのではないか、ということにすぎないのだが。

(ISBN4-7733-4253-6 C0093 P1500E 1995,8 近代文芸社 2016,7,1 読了)