黒沢和義『秩父鉱山』

 中津川の奥、小倉沢にある秩父鉱山のかつての姿をいろいろな形で描いた書。

 日窒鉱山のことを初めて耳にしたのは、浦和通信制高校在職中のことだった。
 秩父市にある秩父農工高校で行われるスクーリングに出向いた際、先輩から「以前は中津川までスクーリングに行ったもんだ」という話を聞いた。

 秩父に職を得たのち、たぶん1981年だったと思うが、中津川の源内居や小倉沢の鉱山住宅などを見学させていただいた。
 中津川への道路はまだ舗装されておらず、磁鉄鉱のカケラが道ばたに転がっていた。
 原付バイクで行ったのだが、けっこう遠かった印象がある。

 小倉沢にはまだ多くの人が住んでおり、とても活気があった。
 住宅の周辺では子どもたちが歓声をあげて走り回っていた。

 1990年ころ、小倉沢から両神山に何度か登ったが、その時の記憶はない。
 1996年に初めて大ナゲシに登ったときには、住宅に人が住んでいる気配はもうなかった。

 今の小倉沢は石灰岩を採掘しているが、教え子がまだ勤めていると思う。

 鉱山の歴史について、秩父の図書館で斜め読みしたことがあった気がするが、その全容に接したのはこの本が初めてだった。

 秩父の金山開発は、武田信玄の時代に始まる。
 金山沢という名の沢が、入川・神流川・大若沢・滝川に、支流として存在する。
 栃本には、「金山沢千軒」ないし「股ノ沢千軒」という伝承があるので、入川の金山沢は武田による採掘が行われていた可能性が高いと思う。

 小倉沢に金鉱開発の夢を託したのは平賀源内だったが、彼は失敗した。
 前近代の山師にとって、金はほぼ唯一のターゲットだったが、金鉱の発見はほとんどが失敗に終わった。

 明治末年以降、金以外の各種金属が資源化されると、小倉沢は大いに脚光を浴びるようになる。
 本書は、ここから戦後までの時期の小倉沢鉱山のようすを活写している。

 とても人が暮らせないような深山でも、金属資源を産出するとなると、様相は一変する。
 急斜面に、住宅や各種施設が立ち並び、鉱山で働く人々だけでなく、彼らの暮らしを支える人びとを含め、あまたの人が行き交う市街地が出現する。

 一種のゴールドラッシュがここに出現したということである。
 その時代を体験した人びとにとって、山での暮らしは、その輝きととももに記憶されている。
 本書の中核部分を占める聞き書きは、そのような証言に満ちている。

 登山者として何度も訪れた八丁峠や赤岩峠は、多くの人々が毎日行き交った生活の道だった。
 越えたことはないが、尾根で歩いた雁掛峠や六助峠もおそらく鉱山時代の道なのだろう。

 しかし、鉱山の歴史には必ず、終りが来る。
 そのことへの寂寥感もまた、すさまじい。

(ISBN978-4-88683-790-5 C0036 \2500E 2015,11 同時代社 2016,1,26 読了)