松本清張『空白の世紀』

 4世紀の列島に何が起きていたのかは、わかっていない。
 そして、5世紀に入ると、『宋書』にいわゆる「倭の五王」が登場する。

 高校で教えられる通史では、4世紀ごろの列島は内乱の時代で、「大和朝廷」による列島統一が進行しており、5世紀には列島統一がほぼ完成して、五王が南宋に使者を送るまでになったという流れである。

 この時代は、記紀では歴史的な記述になっておらず、『宋書』や「稲荷山古墳鉄剣銘」など重要史料は少ないのだが、通説は、「日本」が存在するという偏見によって叙述されている。

 著者は、朝鮮半島南部に建国された百済や新羅が、騎馬民族・扶余の国家であり、任那もまたそうなのだが、任那の旧支配者・倭族が大和盆地に侵入して、そこに豪族連立政権を作ったのがこの時代だという展望を示している。

 3世紀の邪馬台国連合政権が、北九州に所在したものと考え、4世紀ごろには半島からの移住民が波状的にやってきて、まずはまた九州に扶余族の国家を樹立する。
 さらに5世紀に天孫族(大王家)が大和盆地へ到着するというという展望にたてば、大和の連立政権が故地任那にこだわったことや、兄弟国だった百済救援のための軍を派遣したことなどが、合理的に理解される。

 「天皇陵」に比定されている巨大古墳を調査すれば、このあたりを解明が可能になると思われるが、それは宮内庁が許可しないらしい。
 役所が拒否しているのか、天皇家が拒否しているのか知らないが、でっち上げの歴史を維持するためには、考古学的な研究が、存在しない方がよいのだろう。

(ISBN4-06-183706-0 C0121 P571E 1986,12 講談社文庫 2015,11,10 読了)