松本清張『邪馬台国』

 松本清張氏が書こうとした歴史が、いくらか見えてきた。
 それは、天武が記紀を通して捏造しようとした古代史の、実像に迫ろうということだ。

 信憑性がある程度担保されている奈良時代後半以降の史料と、天武以前の記紀とでは、叙述に向かい合うスタンスを根本的に変えなければならない。

 邪馬台国の時代となると、実際のところ、確実なことは「何もわからない」というのがもっとも正確だと思う。
 倭人伝の記述は、該当の時代よりずっと後代になって編集されたものであり、元史料自体が転写を重ねて伝わったものである。
 歴史の編集とは主観的な作業だから、その過程で取捨選択があり、記述の修正が行われる。
 さらに、元史料そのものが伝聞に基づく報告なのだから、倭人伝の記述を厳密に解釈すること自体に、ほとんど意味がない。

 かと言って、三世紀の列島に関する貴重な史料であることは確かだから、その程度の信憑性を前提として、楽しく読めばよいのである。

 松本氏は、「倭」とは九州北部から朝鮮半島南部に住んでいた人々を呼ぶ呼称だとされる。
 「日本」とか「韓国」といった現在のの国家的枠組みを外して発想すれば、東アジアの一部に蟠踞した稲作民の存在が浮かぶ。
 彼らはまた、南方系の民とも混交していたので、航海や漁撈の技術にも長けていた。

 倭の民は、大帝国である漢や魏と交易するため、その出先機関である楽浪や帯方との関係を望んでいた。
 倭が欲しがったのは、珍しくも美しい布や装飾品のたぐいだっただろう。

 北部九州に存在したのはもちろん、規模の大きな集落程度の原初的な「国家」の連合体だった。

 これらの国家の運営方法は、律令体制の確立した古代国家とも根本的に異なり、呪術によってものごとは決められていた。
 卑弥呼はシャーマンだったが故に、「国家」連合の頂点にたちえた。

 卑弥呼の「国」がどこにあったかは不明で、倭人伝に記載された「伊都国」以遠の里程表示は、ほとんど意味がない。
 松本氏は、筑後あたりに存在したのではないかと書かれているが、断定はされていない。

 さすが松本清張と思わされたのは、「クナ国」との争闘に敗北した卑弥呼は霊力を失ったとみなされ、殺害されたという想定である。
 シャーマンは、官僚を備えた「国家」の「王」ではなく、その霊力によって神の意志を人々に伝える霊媒にすぎない。
 加齢その他、何らかの理由で霊力が衰えれば、彼女の持つ霊能は、別の人物に転移されなければならず、そのためには彼女は殺されねばならなかったというのである。

 説得力をもつとはいえ、松本氏の邪馬台国もまた、楽しい想像の産物にすぎない。
 邪馬台国=大和説の根拠となっている三角縁神獣鏡について、さらなる氏の推論を期待したかったところだが、それはすでにかなわない。

(ISBN4-06-183157-7 C0121 P380E 1986,3 講談社文庫 2015,10,10 読了)