奈良本辰也『吉田松陰』

 明治維新ひいては近代「日本」を準備したのが吉田松陰であるならば、彼は福沢諭吉と並ぶ、とてつもなく巨大な思想家だったことになる。
 はたしてそうなのか。
 松下村塾は、世界遺産に値する学びの場だったのか。

 松陰の思想は基本的に尊王攘夷論であり、1850年代の「日本」において特筆すべきものがあったとは思われない。

 度重なる外国の接近という状況のもとで、ナショナリズムは一般庶民を含め、多くの人々のなかに醸成されつつあった。
 そういうなかで、天皇をナショナリズムの核に据えようとしたのが尊王論だった。

 他の論者と異なる松陰の特徴は、1854年に、ペリーの艦隊に侵入して外国行きを企てた点である。
 この事件で下獄した松陰は、その後の人生のほとんどを軟禁下で送る。

 1850年代の江戸幕府には、「日本」の独立維持および徳川家の支配の維持という課題があった。
 徳川家を中心とし、諸大名による強力な連合政権を構築しようとする革新的な流れが存在したが、権力は幕府専制の維持を図る守旧派の手に落ちた。
 多くの大名はさほど深刻な危機意識を持っておらず、状況を傍観していた。

 松陰は、松下村塾で若者たちを教える一方、守旧派に対するテロ計画に連座する。
 この時点で彼の中では、長州藩・幕府に対する幻想は消滅していたと思われる。

 松陰の思想に特筆すべき点は見いだせない。
 松陰は優秀な教育者だったかもしれないが、彼が長州藩の若者たちを教育したことが明治維新を準備したとまでは言えない。

 松陰の帝国主義思想は、本書で論じられてはいない。
 著者がそれを見落としたのか、それとも松陰の思想にとってその論点は重要でないとみなしたのか。
 もう少し勉強してみたい。

 ともあれ、松下村塾に集まった青少年が明治「日本」を牽引するに至った理由は、松陰以外のところにあると思われる。

(1951,1 岩波新書 2015,8,24 読了)