高橋章『元中川村開拓団』

 敗戦当時12歳だった著者による回想。
 中川村開拓団の悲劇の事実を直視しようとする著者の姿勢は、一貫している。

 昭和恐慌以後疲弊の極にあった埼玉県秩父郡中川村(現在秩父市)が分村移民へと動き始めたのは1933年(昭和8)で、1939年(昭和14)には最初の移民団が満州へ渡っている。

 五族協和の理想の実現とか、日本人の国益とか、困窮した人びとを満州武装移民へと駆り立てる理屈は多々あったけれど、そのようなことをマジメに考えている者は誰もいなかった。

 中川村開拓団の団長が、開拓団員家族を引き回し、いたずらに犠牲を増やした挙句、団員を放り出して一人さっさと帰国した事実は、他の記録によっても明らかにされている。

 このような人物の心底には、出世欲とか名誉欲くらいしか存在しない。
 国家や国家理念などの権威を背中に背負えば、自分の権威が増すと思って、調子に乗って人びとを煽りたてるのである。

 自分を飾っていたバックが崩壊すれば、過去の自分の言動など、簡単に投げ捨ててしまうし、安全なところに戻ってくれば再び、過去の自分を正当化し、飾りたてようとする。
 最低の人間ではあるが、末端官僚(教師を含む)や、地域の顔役に、そのような人が多いのも事実である。

 団員たちは、敗戦以後、地獄を見てきた。
 著者は、なぜそのようなことが起きたのか、歴史の事実を誠実に向きあおうとされている。

 満州国の高級官僚として、植民地経営のトップにいた人物が戦後、戦犯として収監されたが、のちに釈放されて首相になった。
 その人物の孫だという人が、歴史偽造の旗振り役として醜悪な過去を美化し、正当化し、隣国への憎悪を駆り立てて、再び戦争ができる「日本」を「取り戻そう」としている。

 著者はご高齢ではあるが、時宜を得た出版だと思う。

(2015,6 私家版 2015,8,13 読了)