佐高信・村山富市『「村山談話」とは何か』

 1995年の「戦後50年」を機に当時の村山富市内閣が出した「談話」の背景などについて、当事者が語った本。

 村山内閣が成立したのは、55年体制崩壊後の混沌とした政局のさなかだった。
 非自民党を旗印にした細川内閣・羽田内閣の後、各政党の離合集散ををめぐる駆け引きは、常人の理解できるところではなく、永田町を始めとする東京のどこかで昼夜、陰謀術策が渦巻いていた。

 村山内閣は、政権復帰をめざす自民党が考えついた奇策中の奇策によって成立した。
 村山氏にとって首相の座は棚からぼた餅だったし、自民党は数の上では社会党をはるかに上回っていたから、村山氏を操縦するのはさほど難しくないと高をくくっていたのかもしれない。

 しかし、自衛隊の存在や安保条約について自民党にずるずると譲歩した村山氏は、戦後50年を経た「日本」の立ち位置については、頑固なこだわりを捨てなかった。
 侵略戦争の反省の上に戦後「日本」が存在するという認識は、社会党だけでなく、自民党内の心ある政治家にとっても共通していたから、このような「談話」を出すことは可能だと、村山氏は思ったのかもしれない。

 首相談話の内容は、閣議にかけられた上で決定された。
 第二次村山改造内閣には、平沼赳夫(運輸大臣)、江藤隆美(総務庁長官)、深谷隆司(自治大臣)ら右翼的な政治家も含まれているが、彼らは閣議で異議を唱えなかった。
 自民党内の良識派がこの当時はまだ、存在感を持っていたのである。

 安倍晋三氏らによって目の敵にされている「談話」は当時の「日本」の政治家が有していた良識の最大公約数だった。
 1980年代の自民党単独政権でも、この「談話」程度の認識は持っていただろう。

 自民党劣化の原因はどうも小選挙区制にあるらしいが、ネットを舞台にした保守勢力の言論活動も無視できない。
 彼らは「日本会議」などの圧力団体を利用して地方議員を組織し、議員らを右翼的プロパガンダの手先に使って、戦後「日本」の価値観を転覆させようとしている。

 自民党は改憲を党是とする政党だが、護憲派の人脈がむしろ主流だった。
 安倍晋三氏が今、引導を渡そうとしているのは、岸内閣を除く55年以来の自民党政治なのである。

(ISBN978-4-04-710200-2 C0295 \705E 2009,8 角川ONEテーマ新書 2015,6,24 読了)