五木寛之『サンカの民と被差別の世界』

 前半は差別された非定住民だったサンカと家船についての考察。後半は東京の下町に暮らした被差別者についてのエッセイ風の評論である。

 サンカについては、三角寛による虚実取り混ぜた紹介が全面否定され、その実態はまだよくわかっていない。
 歴史学は文献学なので、支配のために用いられた文献を史料として扱う。
 だから、支配の埒外にあった人々に関する記録は作られもしない。

 しかし、文献に登場しないものは存在しないというのは、科学的でない。
 文献がどのように作られ、どのように残されてきたかということを前提に、文献の限界を見据えるのが科学的な歴史だろう。

 著者が紹介されている沖浦和光氏は、サンカの成立は近世後期であり、各種事情による生活苦から居住地を離れて山に入った人々がサンカの濫觴だと考えておられるらしい。

 たしか内山節氏の本に、近代に入っても、経済的に破綻した人が山に入って暮らす例があったという事実が紹介されていた。
 群馬県上野村の山は、そこで食のすべてを得ることは不可能だが、山で得られるものを材料にした加工食品や各種製品を作って暮らすことは不可能ではないと思われる。

 江戸時代に居村を離れたものは「無宿」と呼ばれた。
 これらの人々は、山あるいは海の漂泊民とは異なる。
 無宿者は、人びとの中で漂泊する人々だった。

 山や海で漂泊する人々は、サンカ・家船そのた多様な呼称で呼ばれ、また差別の対象でもあった。
 被差別民ではあるが、人別帳に載せられた被差別民とは異なり、公儀あるいは弾左衛門などの決めた職につくことは許されず、山・川・海から得られるもろもろのことごとを食し、また加工して売り歩く以外に生きるすべがなかった人々である。

 彼らの多くは文字と無縁だったから、彼らの生活記録はほとんど残っていない。
 彼らは、口承芸能を中心とする文化の伝播にひと役買ったかもしれないが、民衆運動や思想の分野で何かを残した可能性は高くないと思われる。

 それでも、このような人びとが作った品物に、江戸時代末から近代初期にかけての「日本」社会は、回らなかったのである。

 ネット社会の今、世の中について、わかったような論評をする人々がたくさん存在する。
 それは悪いことではないかもしれないが、必死になって正直に生きて、世の中を支えてきた人々の存在を忘却するのは、罪深いことではないかと思う。

(ISBN4-06-212937-X C0236 \838E 2005,10 講談社 2015,6,9 読了)