上原善広『異邦人』

 カミュの小説の同じタイトルだが、世界数ヶ所における、マイノリティを訪ねたルポ集。

 ガザ・バクダッドは、どちらかと言えば、戦争の中の日常ルポである。

 おそらくどこの国にも、差別されるマイノリティが存在する。

 日本の被差別部落の場合、大正時代以降、差別への抵抗が公然と組織され、戦後には、解放運動時代が大きな力を持った時代もあった。
 被差別部落は、マイノリティとはいえ、社会集団としては、大きなグループである。

 著者はここで、ウィルタ民族の今について記している。

 主としてサハリン南部で暮らしていたウィルタの一部は、近代以降(ことにポーツマス条約以降か)「日本」の国籍に編入され、さらにロシア(ソ連)との国境地帯で諜報活動に従事させられた。
 正式な軍組織に所属しての活動とは限らなかったため、彼らの活動は報われず、「日本人」には与えられる補償も与えられなかった。

 ウィルタは、北海道・千島・サハリンに広く居住していたアイヌより、はるかに少数だった。
 そのアイヌでさえ民族的アイデンティティを否定されたのだから、ウィルタが民族として存在し続けるのは、「日本」ではほとんど不可能だった。(現在のロシアでは民族的な差別はないという)

 暮らしの中では完全に「日本人」化されつつも、文献や民具などである程度の民族的プロファイルが復元できるアイヌとも異なり、「日本」のウィルタの場合、北川ゲンダーヌ氏の開設した資料館も閉鎖され、実質的に消滅した。

 人間のココロの問題だから、マイノリティ差別を消し去ることは難しい。
 近代は、人間の生まれながらの差別を否定したが、結果としての格差を当然視する。

 格差もまた、差別ではないか。
 格差の原因が差別される側にあるかのように擬制するだけ、格差は、より根の深い差別だとも言える。

 世界のいたるところに、どうにもならない差別の中で淡々と、ひっそりと生きているマイノリティがたくさんいるのである。

(ISBN978-4-16-790150-9 C0195 \640E 2014,7 文春文庫 2014,7,31 読了)