『物語朝鮮王国の滅亡』

 朝鮮王国(末期には大韓帝国)は1910年に、大日本帝国によって滅亡に追い込まれる。

 それが「日本」による「加害」の歴史だということは事実なのだが、朝鮮の歴史は、「加害と抵抗」だけではないことを叙述した本。

 特権支配を比定し、近代化を模索する動きは、18世紀後半から国王英祖・正祖のもとで始まりつつあった。
 実学を評価し積極的に取りあげようとする思考が支配者の中に芽生えていたという点で、この時点では、江戸幕府よりむしろ開明的だったと言える。

 近代化の芽を摘んだのは、正祖死後に起きた、特権層による反動化だった。
 支配者が特権の維持を自己目的とした政治を行うとき、権力は、合理主義を激しく憎悪する。
 この発想は、外から見れば滑稽で馬鹿げているのだが、特権層には、それが自覚できないのである。

 「日本」の明治維新前後の時期、巧妙に権力を握った大院君時代を、著者は前向きに評価しておられる。
 特権層出身でない大院君は、特権により腐敗した王国の政治の建て直しをはかったが、18世紀末と19世紀末とでは、アジアの小国が生き抜く環境は、格段に厳しくなっていた。
 さらに彼は、息子である高宗の后である閔妃によって権力を奪われる。

 本書によっても、閔妃は謎の女性である。
 有能な女性だったとも書かれているが、彼女が行ったことは特権政治の復活であり、複雑で困難な東アジア情勢の中で、事大主義によって自分たちの特権を維持しようとする発想だった。

 その後の朝鮮の歴史は、多くの人が知るとおりである。
 朝鮮を滅亡の導いた主体的要因はやはり、支配者たちの事大主義的発想だったと思う。

 本書によって得た重要な新知識がある。
 日清戦争の戦端を開く以前に、「日本」軍は、高宗国王の居住する景福宮を襲撃し、守備兵と戦闘行為に及んだ末、捕虜にした国王を脅迫して、清国を朝鮮から駆逐したいという文書を書かせた。
 この文書が、日清戦争開戦の根拠となったのだという。

 本書の叙述は基本的に、朝鮮王国の政治の流れを追っているので、甲午農民戦争について、さほど詳しく書かれていないが、同じく近代化の時代に起きた農民反乱である秩父事件とよく似た軍律を持つ。

 朝鮮政府は、農民反乱に対し、かなり多くの対話を試みている。
 甲午農民戦争が何をめざして戦われたのか。
 さらに政府側が反乱をどのように受け止めたのか、詳しく知りたいところである。

(ISBN978-4-00-431439-4 C0222 \820E 2013,8 岩波新書 2014,1,10 読了)