高木仁三郎『プルトニウムの恐怖』

 プルトニウムという元素が、現代社会においてどのような意味を持っているのかをわかりやすく解説した本。

 プルトニウムは、人によって作り出された元素であり、長崎原爆の材料となった物質である。

 天然に存在することがなく、猛毒にもかかわらず、この元素は現在、地球上に蓄積しつつある。

 プルトニウムの用途は、核兵器の材料もしくは、原子力発電の燃料であるが、プルトニウムを燃やす高速増殖炉の開発を行っているのは、現時点では「日本」だけで、他の核「先進」国はことごとく、その危険性の故に、プルサーマル以外のプルトニウムによる発電開発を断念している。

 原子力発電所は、複雑で膨大な配管や配線の巨大な集合体である。
 原発で過酷事故がひとたび起きれば、一帯がほぼ永遠に死の地帯と化す。
 従って、原発に使われる部品や組み立て工程は、厳重に管理されており、通常の機器とくらべて、製造ミスは少ないと推量されるし、運転に際してのマニュアル違反もたびたびおきるものではないと推量される。

 しかし、報道されただけでも、大小の事故やミスは、ほぼ日常と言えるほどに、発生しているのである。

 高速増殖炉は、ウラン原発と較べて制御がはなはだ難しいと言われる。
 事故が起きやすく、起きた事故が深刻化しやすい点が、各国が核燃料サイクルから撤退した理由である。

 「日本」はいまだに、実験炉「もんじゅ」を廃炉にする決断をせず、動きもしない「もんじゅ」に公金をつぎ込み続けている。
 核燃料サイクルは、経済合理性がなく、存在するだけで巨大なリスクでしかない。

 核燃料サイクルがモノになるリアリティがないにもかかわらず、「日本」がプルトニウムをため込み続ける理由は、将来的に核兵器としての利用を考えているからであるという見通しには、説得力がある。

 今から30年前に書かれた本だが、ここで指摘されている問題点は、今もそのまま有効である。

(ISBN4-00-420173-X C0236 P760E 1981,11 岩波新書 2013,4,26 読了)