千葉悦子・松野光伸『飯舘村は負けない』

 飯舘村は、野手上山・花塚山・佐須山のある村である。

 いくつもの小さな里山を持つ山里だが、傾斜は緩やかで、畑や田んぼもそこここに点在していた。

 晩秋には、枯れ木の根元にクリタケがよく出ていた。

 福島第一原発が事故を起こしたのち、周囲の市町村に、事故に関するまともな情報は届かなかった。
 12日から15日にかけて、原発が爆発したあとも、東電・政府は、住民に対し、深刻な事態でないというメッセージのみを発信し続けた。

 政府は、原発からの距離数に応じて同心円状に避難を指示したが、放射性物質は同心円状に拡がったわけではなかった。

 爆発によって放出された放射性物質が、北西方向への風に乗って拡散し続けていることがほぼリアルタイムで把握できていたにもかかわらず、政府はその情報を隠して、多くの住民を被爆させた。
 福島県知事も、政府から放射性物質拡散情報を得ていたにもかかわらず、それを見落とし(と釈明している)、住民を被爆させた。

 飯舘村は第一原発から30キロメートル以上離れているにもかかわらず、放射性物質による深刻な汚染を被った。
 一時期は全村が避難対象となったが、一部は「避難指示解除準備区域」に設定されている。

 村では、地震による被害も比較的軽微だった。
 原発事故がなければ、今ごろ、かつてと同じように地に根を下ろした暮らしが復活していたはずだが、無味無臭で目に見えもせず、形も存在しない放射性物質が、田畑や山を覆ったのである。

 酷薄なこの状況下にあって、村民は、暮らし復活への道を探った。

 若い人々の多くは、被爆しつつ村で子どもを育て暮らすのは不可能だと考えているのに対し、村長らは、除染によって村で暮らすことのできる基盤を再生したいと考えているようだ。

 いずれをとるかは、非常に困難な選択となる。
 放射能に汚染された土地で被爆しつつ子どもを育てるのは不可能だから、子どものために避難すべきであるというのは、一見すれば正論のようだが、暮らすべき大地を持たない都会民の論理である。

 もし、日本列島がもっと汚染されたら、「日本人」は、かつてのユダヤ人のように、帰るべき故国を持たない民として、世界中に避難すればよいと言えるだろうか。

 二つの選択肢は、いずれも間違っていないが、より正しいのは、除染によって、村をもとあった通りに復元するという、村長たちの意見だと思う。

 除染には膨大な経費がかかる。
 その経費は、原因企業である東京電力が支払うべきである。
 原資は、電気代を値上げすればすむ。
 電気を使うということは、そういうことなのである。

 それで足りなければ、国が増税なり、公務員の給料を下げるなりして、支出するしかない。

 この「国」に、地震と原発事故被害地の復興以外にカネを支出している余裕はないはずである。

(ISBN978-4-00-431357-1 C0236 \800E 2012,3 岩波新書 2013,4,2 読了)