井上清『新版「尖閣」列島』

 いわゆる尖閣諸島の領有権をめぐる歴史学的考察。

 結論として著者は、尖閣諸島は中国領だと述べている。

 中世後期から近世に、尖閣諸島は、「日本」の文献には登場しない一方、中国の文献にはしばしば登場する。

 琉球列島自体が「日本」領でなかったのだから、「日本」人が尖閣の存在さえ、知らなかったのは無理もない。

 そもそも、明治政府が琉球王国を併合したこと自体、現代から見れば、無法なことである。

 それでは中国(明・清)が尖閣を自国の領土だと明確に考えていたのかというと、本書の考察を見る限り、そのようでもない。

 元来、国家のボーダーは、さほど明確ではなかった。
 国家など存在してもしなくても、人の暮らしに、なんの影響もなかった。

 尖閣は、琉球と中国のボーダーに位置していたのであり、どこの国家にも所属していなかった。
 ただ、琉球に行き来する中国人の往来が多かったぶん、どちらかといえば、中国に若干強い言い分があるかもしれない。
 少なくともはっきり言えるのは、中・近世の尖閣に関する限り、「日本」には、何の発言権もないということである。

 以上のことを承認するかしないかは、かなり大きな問題となる。
 これを認めると、尖閣を「日本」が盗んだという、中華人民共和国の主張を認めるしかなくなると思われる。

 「日本」が尖閣の領有を宣言した法的根拠は、いわゆる「無主地先占の法理」である。
 北海道を日本が領有した法的根拠も、おそらくこれだろう。
 それは、19世紀の世界に蔓延していた、泥棒を合法化する法理だった。

 古くはスペイン・ポルトガル・オランダが、広大な世界を盗んだ。
 その後、イギリス・フランス・アメリカが暴力をまじえつつ、あとに続き、部分的には先占者から奪い取った。

 「日本」が尖閣の領有を宣言したのは、1895年である。
 日清戦争が、「日本」優勢の中で推移し、来るべき講和条約で、遼東半島や台湾の奪取にある程度見通しが立っていた時期である。
 尖閣盗み取りに対し、激しく抗議する余裕は、清国になかった。

 これを「国際法に則った行動」と開き直るのは、盗人猛々しいといわれても、当然だろう。

 ボーダーは、ボーダーであった方がよい。
 そのような解決法が模索されてほしいものである。

(ISBN978-4-8074-1209-9 C0031 \950E 2012,11 第三書館 2013,3,8 読了)