小関智弘『鉄を削る』

 モノづくりとはどのような営為かについて、読んで快いほど明快に語った本。

 鉄を削るという作業は、工業にとって基礎の基礎ともいえるらしい。

 地域にある中小の工場の多くは、コンピュータ制御による製造が行われている。
 これらの企業で働く人々の業種は「機械オペレータ」である。
 それらの人々の仕事は、機械がプログラムされた通りに動いているかどうか監視し、機械にときおり、マニュアルに記載された指示を与えることである。

 そこで働いているのは機械であり、人間はそれを補助しているに過ぎない。
 この場合、人間が機械より上位にあるか下位にあるかは微妙だが、その人間は機械が行っていることの意味を完全に理解しているわけではなく、機械の特定の動作を支配しているに過ぎない。

 だから、その人間がモノを作っているのではなく、人間の仕事は、機械がマニュアル通りに動作していることを確認することである。

 これは、モノづくりでありそうだが、実際のところ、モノづくり労働ではない。

 旋盤工である著者が語るのは、熟練労働者(著者はそれを「職人」と呼ぶ)が扱えば、旋盤とというごく単純な機械を使って、より機能的で、より美しく、より完璧な製品を作り出すことができるということである。

 色や、刃物を当てたときの感触や音や、キリコ(削りくず)の色や形、舌で舐めたときの味などによって、職人は金属を見分けることができる。

 一定の時間を拘束されて、何らかの業務に従事することを「労働(あるいは仕事)」と呼んでいるが、マルクスが指摘したように、その業務に価値感・使命感・プライドを見いだせることや、遊びの部分が存在して初めて、人間の労働(あるいは仕事)たりうる。

 本書を読んでいると、人間の感覚、中でも手の感覚の退化が、人間としての総能力の退化だというふうに思うのだが、近年、ホワイトカラーの現場では、ワードやエクセルやパワー何とかを使うことが能力であるかのような雰囲気もある。
 誰かが考えた小賢しいプログラムをつかうことに、創造性など、ひとかけらも存在しないのに。

 バーチャルな証券・債券などをキーボード上で「売買」することによって莫大な利益を上げるとか、ほんとにワケわからない話である。

 人は、リアルな中で生きるべきだ。
 労働は、汗を流し、神経を集中して行うべきものである。

 労働の本質が、本書に語られているから、読んでいて快感なのだろう。

(ISBN4-480-05578-8 C0195 \540E 2000,8 ちくま文庫 2013,2,15 読了)