中畦一誠『やまなみ 残照』

> 著者は下日野沢に生まれ、現に在住されている。

 地元の人が隣組的目線で見た、秩父事件である。

 歴史家が最終的にめざすのは、歴史事象の歴史的な意味を明らかにすることである。

 従って、歴史家にとって重要な史料はそれを考える上でシンボリックな意味を持つものである。

 現在は1時間内外の通勤を必要とする勤めを持つのはごく普通のことだから、日常生活における隣組的世界の比重はさほど大きくはない。
 しかし、戦後ずいぶん遅くまで、隣組を中心とするごく狭い世界で、仕事を始めとする日常生活・人生が完結する人々も、少なくなかった。
 秩父事件が起きたのもまた、そのような世界においてなのである。

 江戸時代後半の村は、農民層分解という視覚から分析される。
 農民層分解とは、商品経済の広範な展開に伴って、「小農」が「豪農」と「貧農・半プロ」に両極分解するという経済史的範疇である。

 経済史的範疇は、歴史の動向をおおまかに把握する上では役に立つが、個々の人間関係がそんなもので割り切れるわけがない。
 隣組的世界の中で妥協なき階級闘争が行われていたかのような冷戦史観では、現実は見えてこないのである。

 著者が言いたいのも、以上のようなことではないかと想像する。
 隣組的目線からのみ、歴史事象を見ていたのでは、その歴史的な意味に迫ることはできないだろう。
 しかし、どんな歴史事象にも、人間関係のしがらみがあり、それを無視したのでは歴史の実像に迫ることができないのもまた、事実なのである。

(2008,12 私家版 2012,7,26 読了)