川上徹『アカ』

 1933(昭和8)年2月に、長野県において権力によって起こされた「2・4事件」(もしくは「教員赤化事件)の関係者の当時とその後を追った掘り起こし記録。

 著者は、ここに登場する人々の体験と、1970年代に自身が日本共産党から暴力的な拘束を受け、組織における立場や仕事を奪われた体験とをときに重ねあわせているが、その点について言えば、自分にはピンと来なかった。

 小林多喜二が逮捕されたその日のうちに、警視庁築地署で虐殺されたのが、1933年2月20日である。
 特高警察がもっとも獰猛を極めた時期に、多くの若い教師たちが、治安維持法違反容疑で逮捕されたのが、「2・4事件」だった。

 本書を読んでいるあいだずっと、胸詰まる思いを禁じ得なかった。

 思うにその理由のひとつは、本書に登場する教師たちがあまりに若く、純粋だったからである。
 著者の父・川上潔(22 当時)を始め、ほとんどが20歳を過ぎたばかりの若者だった。

 このごろ、新しく教員になって赴任してくる先生の多くは、25歳を過ぎている人がほとんどだし、なかには30代後半かと思われる人もいる。
 もちろんそれは悪いことではないのだが、教師にとって「若さ」は非常に重要なアドバンテージである。
 若いからこそ感じとることができるものが、教育という営みの中で、とても大切なものだったりする。
 それは、子どもの目線からものを見るセンスとか、正義感とか、子どもの成長をものさしに考える思考の基本などである。

 この先生たちのほとんどは、特高警察の取り調べの中で、「転向」を余儀なくされた。
 考えを変えることは、誰にでもありうるし、それが悪いこととは限らない。
 しかし、対応の仕方によっては、殴り殺されることもありうるという状況の中で、信念を曲げざるを得なくされる体験は、悲惨である。
 彼らは、教壇を追われた上、地域の中で「非国民」として白眼視され続けたのである。

 いわば伸び盛りだった先生たちの挫折の深さを思うと、言葉がない。

 彼ら・彼女らにとっての「運動」とは、創造的な教育実践を交流しあう活動だった。
 昭和恐慌の惨劇が展開する中で、経済的なしわ寄せは子どもの中にも押し寄せた。
 そんな中でも、子どもたちの目が輝くような授業ができないか、彼ら・彼女らは真剣に考えていたはずだ。

 本書には、先生たちが「いい授業をしたい」という動機でこの運動に関わるようになったというエピソードが、しばしば語られている。
 さほど詳しくわかっていないからさらりとしか書かれていないが、突如として先生を奪われた子どもたちの悲しみも、如何ばかりだったかと想像される。

 いま、これほど純粋で熱心な先生を育てるのは、容易なことでない。
 良心を守りぬいたからといって、投獄されるわけでもない。
 脅しに屈服して良心を投げ出すべきでない。
 最後の一人になっても、ここだけは譲れないという思いを強くした。

(ISBN4-480-81820-0 C0036 \1900E 2002,2 筑摩書房 2012,3,12 読了)