『子供だったころ』

 新潟県安塚村立中川小学校の1950年卒業生一同が2005年に書いた、敗戦直後の食・暮らし・遊びの記録。

 あってもよさそうだが、類書は見あたらない。
 人が大きく流動する今の時代に、小学校の同級生が60歳を過ぎて、集まったり連絡を取り合うことができること自体が稀有なことだから、当然である。
 とはいえ本書は、戦後、子どもの目から見た山村の世界がどのようなものだったのかを活き活きと描いている。

 子どもの世界だから、中心は、遊びである。
 中にはインドアの遊びもあるが、多くは戸外で、身体を思い切り動かして、当時の子どもたちは遊んでいたのである。
 ここにあげられた遊びは、高度成長期の子どもにとっても、おなじみのものばかりだ。

 自然の中で身体を動かすことによって、怪我をしないための身のこなしや各種の知恵を学ぶことができた。
 また、出来合いのおもちゃは存在しなかったから、遊ぶための道具を自分で作ったり、カスタマイズする技術も必要だった。
 身の回りの全てを遊びの対象にするだけでなく、情況によってルールを変える臨機応変さなども、身につけなければならなかった。

 当時と比較して、現代の遊びの貧しさは、絶望的としかいいようがない。

 暮らしの面については、高度成長期の半農村と戦後の山村とでは、明らかに世界が異なっていたことがわかる。

 食糧難の時代だから、山の急斜面を開墾してまで作物を植えたというのは、この時期ならではだったのだろう。

 燃料は全て薪に依存していた上、豪雪地帯の山村では、薪作りのできる季節は限られ、それが農作業とほぼ重なるから、薪作りの苦しさは想像を絶するものがあっただろう。

 子供時代に習ったわら細工などの技術は、目をつぶっても身体が覚えているという。
 身につけるとは本来、そのようなことなのだろうに、「識者」や「政治家」が語る教育とは、学習塾で習うようなことばかりなのである。

 子どものまわりの何もかもが、やせ細ってしまったと言わざるをえないのではなかろうか。

(ISBN4-86132-142-5 C0039 \1600E 2005,10 新潟日報事業社 2012,2,23 読了)