宇江敏勝『山河微笑』

 著者の他の本は、何かのテーマがあるが、この本は、紀州中辺路町野中での、著者の日常を淡々と綴ったエッセイ集である。

 その意味では、一読することによって新たに開眼するということもさほどなく、淡々と読み終えた。

 野中における暮らしのありようは、武州秩父の山村と、さほど変わりある物でもない。
 集落の周囲の平地は、野中のほうが広く、谷に射しこむ光量が、こちらよりずっと多い。
 当然ながら、田畑もいくらか広く、水田を見ない当地とは、景観が違う。

 野中には、継桜王子社と一方杉があって、ときおり観光客(私自身がその一人だった)が通るのだが、こちらにも秩父札所があり、鎮守の森には、一方杉ほどではないが、かなり大きな杉がある。

 農作物への獣害はどちらもひどく、この問題は、列島全体で深刻化しているにもかかわらず、頭数だけべらぼうに多い(にもかかわらず何も知らないし考えてもいない)都会民で、獣害問題を認識している人は、ほとんどいない。

 野菜つくりに関しては、著者より自分のほうがよく研究していると思う。
 祭礼や冠婚葬祭は、著者の村のほうが古い形が残っていると思う。

 淡々とした文章ではあるが、著者が厳しい語り口に変わるのは、谷筋に産廃捨場ができる計画が持ち上がった顛末を記した部分である。
 当地にも、産廃処分場が計画され、いくつかはすでに埋め立てが済んでいる。

 水や空気や人間やサカナをただ当然で持ち去り、ゴミを持ってくるのが、都会民である。
 熊野古道の村に、産廃処分場ができなかったのは、幸いだった。

 山里の暮らしも変わっていくが、変わらないほうがよいものも多い。
 自分も、あまり小さなことに目くじらたてたりせず、淡々と暮らしていこう。

(ISBN978-4-88008-376-6 C0095 \2200E 2009,12 新宿書房 2012,1,6 読了)