斎藤たま『わらの民俗誌』

 わらの民俗に関する聞き書き。

 稲作をしていると、大量のわらが発生するのは当然だが、実際にコメを作るようになって、そのことを実感した。

 人にとって、目的はコメであり、わらはその副産物にすぎないというか、余計なものなのかなという偏見とまではいかなくとも、わらそのものはコメに比べて、はるかに価値の低いものだという感覚があった。

 しかしそれはやはり、偏見なのである。

 田畑あわせて二反程度の自分の農作業だが、管理機なしには、どうにもならない。管理機は、些少ながらガソリンを消費し、これは、購入しなければならない。
 肥料も同じで、いくら化成肥料を使わないなどと力んでみても、鶏糞なり牛糞なり、有機肥料を購入しなければ、話にならない。
 しかし、牛馬がいた時代には、耕耘の際の原動力と肥料製造を牛馬が担っており、彼らはわらや枯れ草をエネルギーに変えてくれたのである。

 その他、履き物、布団や畳、むしろ、各種容器の材料として、わらは欠かせなかった。
 すなわち、人の暮らしにとって欠かせなかったのである。

 自分の現状はどうかと言われると、わらをきちんと活用しているとは言いがたい。
 脱穀後、発生する大量のわらは、しばらく積んでおき、凍りやすい芋類の保温に使ったり、ネギを植えた時のかさ上げ用などとして使ってみてはいるが、今のところ、その程度である。

 時間に追われる暮らしは忌々しいが、現状ではやむをえない。
 そのうち、わらをちゃんと使える列島民になりたいものだ。

 ところで著者は、人々の願いである魔除けのために、わらもしくはわらを結んだものがシンボライズされた働きをしたという事例を、るる書き記している。

 列島民の精神世界の歴史については、よくわからない。
 著者はきちんと説明してくれているのだろうが、なるほどそうであったかと胸に落ちることが、少なかった。
 それは自分に、体験的な部分あるいは周辺知識が欠けているせいだろう。

 現に身の回りに大量に見ることのできる供養塔のたぐいは、ほんの100年ほど前まで、盛んに作られていた。
 それは、そのころまで、信仰の実態が生きていたからである。
 しかし、集落の信仰的行事に参加しても、今の人々の言動から、信仰の本質的部分を感じとるのは、とても難しい。
 列島民の民俗信仰は、完全に消滅してしまったのだろうか。

 読んでいて気になる点がいくつかあった。

 著者は、若い頃から全国各地を歩いて、暮らしと民俗に関する聞き取りを行われたようである。
 本書には、南の離島から東北に至る地域の暮らしが、アトランダムに登場する。
 民俗学的事象とは、ここでも、あそこでも似たような事例があるという形で一般化してしまってよいものだろうか。

 列島一般に共通する部分もあると思うが、地域ごとに個性的な事象の方が多いのではなかろうか。
 であれば、個と一般とを、きちん腑分けして示す必要があるのではないかと思われる。

(ISBN978-4-8460-0886-4 C0039 \2200E 2011,3 論創社 2012,1,6読了)