外間守善『私の沖縄戦記』

 業務で那覇に行ったおり、見つけた本。
 外間先生には、大学で、言語学を教えていただいた。

 学生に「目、と言ってみなさい」とおっしゃられて、言われたとおりにすると、出身地をズバリ当てられたりした。
 わかりやすくて、とても興味深い授業だった。

 沖縄戦当時、先生(以下著者と呼ぶ)は、沖縄師範学校の生徒だったが、戦況の緊迫化に伴い現地召集され、1945(昭和20)年3月に入隊されたという。
 1945年3月といえば、アメリカ軍の沖縄上陸直前であり、入隊直後に悲惨な玉砕戦となり、同期入隊者で、著者以外に生存者は1名しかいないという。

 入隊後著者は、訓練も全く不十分な状態で、3月23日にアメリカ軍機の空襲を受ける。
 外間二等兵の任務は、基本的に伝令だった。

 著者の属した32歩兵連隊山3475部隊志村大隊は、4月末から、アメリカ軍との死闘を開始した。
 本格的な戦闘は数日で終了し、大隊は連隊本部から孤立して、ゲリラ戦とは名のみの、命がけで食料を求める彷徨行為に、日々を送った。
 全身に爆弾片を受けた著者がアメリカ軍に投降したのは、9月に入ってからだった。

 本書は、著者の妹が対馬丸に乗って疎開途中で亡くなった記録と著者が体験した戦闘記録がほとんどで、師範学校時代やその後著者が残された膨大な研究については、全く触れられていない。
 戦記と題する本なのだから当然なのだが、偉大な学究としての著者と、伝令兵として戦場を走る著者とのギャップが、今ひとつ実感できないのも事実である。

(ISBN4-04-621081-8 C0095 \1500E 2006,6 角川書店 2011,10,12 読了)