吉田ゆり子『兵と農の分離』

 兵農分離は、近世史を理解する上での前提条件であり、近世国家・社会は兵農分離によって形成されたと言ってもよい。

 自分の理解は、1950年代に書かれた著名な論文の域を出ていないのだが、基本的には、幕藩制国家の成立と前後して、土豪層は下級武士か草分け百姓のいずれかの道を歩むことになり、一方で彼らに従属していた人々は、時間をかけて小農として自立していったというものだった。

 しかし、小農自立・土豪層の百姓への身分「降下」についての具体相に接したのは、本書が初めてだった。

 公儀が百姓身分のフラットな関係を志向していたとしても、一片の触れによってそれが実現できるはずもない。

 草分けの人々に対し人格的に隷属していた人々は、長い年月を経て隷属を解消する方向に向かったらしい。

 草分けの人々すれば、村の中における自己の特権や権威が失墜していく現実は、嘆かわしいものと受け取られだだろうが、公儀や諸藩にとって重要なのは、村の支配がスムーズであることに尽きたから、その流れを止めることはできなかった。

 明治になった後にも秩父地方の一部には、「家抱」と呼ばれる隷属民が存在する。

 この人々が、戦国時代以来の系譜の延長線上に位置するのか、それとも江戸時代になってから、なんらかの事情で「家抱」の立場に陥ったのかについては、よくわからない。

 江戸時代初期の土豪の中には、武士として仕官する人々も少なくなく、17世紀半ばになっても、仕官の可能性があったようである。

 土豪層にすれば、戦国時代以来の土豪であることが、最もあらまほしい立場だっただろうから、在地に居住し続けることのできる草分け百姓となる道の方が、それ以前に比して身分的変動が少ないと感じられたのかもしれない。

 もちろん、同じ一族の中にも、兵となる人と農となる人に分かれることもありえたのであり、17世紀にはまだ、民衆が身分的に固定化された状態でなかったことがわかる。

(ISBN978-4-634-54070-5 C1321 P800E 2008,7 山川出版社 2011,10,7 読了)

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