飯沢匡『乞食円空』



 円空が無学で無思想な凡僧だったと主張する本。

 ほとんどすべての行に、著者の思い込み・無知・無理解が溢れかえっていて、じつに辟易する。

 当然だが、読むことをお勧めしない。

 著者は、円空が教養豊かな高僧だったということを否定したいらしい。

 ここでの教養とは、知恵のための知恵を指しているようだが、本来の意味で教養とは、そのようなペダンティズムを意味しない。

 著者のイメージする高僧とは、大寺院で飽食にふける寄生的僧侶であろうが、例えば権力と結びつく以前の行基のような、民衆の中にあって、民衆から大いに尊敬された無名の高僧がいてもいいはずだ。

 仏教者でありながら神像をも彫った円空を、著者は、無節操な流れ仏師と言いたいようだが、江戸時代に、山にも里にも修験者がおり、神にも仏にも仕える信仰は、ごく一般的だった。

 自分の書きたいことに関して、多少なりとも本を読んで、しっかり調べてから書くのが普通なのだが、この著者は、自分の知らないことについて、何も調べるでなく、主観的にあれこれ書き散らしているにすぎない。

 だから、はっきり言って本書は、酔漢の繰り言に等しく、読む価値がない。

(1973,10 筑摩書房 2011,10,5 読了)

月別 アーカイブ