福島金治『北条時宗と安達泰盛』

 東国武士政権=鎌倉幕府は、源頼朝死後ずっと、内紛続きだった。

 前代未聞のモンゴル侵入に見舞われた執権北条時宗の時代も、同様だった。

 畿内政権と共存した時点で、東国政権は、地域権力として列島を支配することになった。

 権力は、源頼朝死後、求心力を失い、御家人(家臣)である執権が事実上の最高権力者として機能した。

 ところが、鎌倉幕府の意思決定には、執権だけでなく、執権補佐である連署や評定衆なども関与した。
 代を重ねるうちに、これら意思決定機関に参加するメンバーは、北条氏の宗家である得宗関係者がほとんどとなった。

 安達泰盛は、一見システマチックに見えながら、内実は得宗独裁という状況を片方で作り出しておきながら、その修正を図った最後の有力御家人だったようだが、得宗権力に寄生する勢力の反発によって一族廃滅に追い込まれた。

 鎌倉幕府は、関東の武士を権力基盤に持つ政権だったのだが、権力の中心にいた人々の利権争いによって、自ら腐敗していったようだ。

 時宗時代の最大事件はモンゴルの来襲だった。
 モンゴルを退けることができた最大の要因は、東アジア諸国の反モンゴルの動きだったが、幕府・御家人の奮闘も重要だっただろう。

 武力を叩くには、武力で立ち向かうしかない。
 寺社や畿内政権は、反モンゴルの祈祷を行った。
 それはそれで結構だが、祈祷に対し、生命を賭して戦った武士と同様の恩賞を要求するというのは、やはり中世らしい。

 この戦争によって、東国武士政権は、自壊の度を深めていったのである。

(ISBN978-4-634-54834-3 C1321 P800E 2010,9 山川出版社 2011,8,22 読了)