白石太一郎『古墳とその時代』

 列島の古墳を総合的に研究することによって、古墳時代の列島の権力構造に迫ろうとする書。

 列島といっても、東北地方北部に古墳は存在しないから、古墳時代という語が有効なのは、九州・四国と東北北部を除いた本州である。

 古墳の作られた地域の権力構造についても、本書には、教科書史観とは異なる新知見がみられる。

 「中央対地方」という偏見に満ちた教科書史観では、古墳文化圏とは、すなわちヤマト国家の支配圏であると理解された。
 稲荷山古墳出土鉄剣銘などは、それを傍証する決定的な史料であると考えられた。

 しかし本書は、ヤマトはあくまでヤマトのローカル政権に過ぎず、古墳の築造に全般的な共通点が存在する理由は、列島各地の地域首長の間に、古墳築造の意味に関する共通の理解があったためだという仮説を提示している。

 地域首長の連合体は、中央集権的な権力構造を持たず、あくまで連合体にすぎないから、それをさして「日本」であるという言い方は、論理的に成り立たない。

 著者はさらに、邪馬台国=大和説に立って、このような首長連合は、鉄を始めとする大陸の文物の共同入手機構であったとし、『魏志倭人伝』に登場する狗奴国は濃尾平野に存在したもう一つの首長連合であり、抗争の結果。大和連合が勝利したとも述べている。
 『魏志倭人伝』の読み方は難しいが、文献に全面依存することなく歴史を構想する、有力な方法だと思う。

 記紀には、ヤマト国家の首長の根拠地が、大和や河内を転々としたかのように述べているが、それら首長の血縁関係を証するものは、記紀自体の記述しかなく、要するに全く論証できていないのである。
 本書が、ヤマト国家内部において、権力移動がしばしば起きており、畿内各地の巨大古墳群の存在は、そうした権力移動の所産だと述べている。
 権力者がなんの意味もなく、根拠地を転々とするわけがなく、著者の説明のほうがはるかに合理的だと思える。

 古墳文化の終焉は、首長連合体制が、大和国家による集権国家へと歩み始めたことによってもたらされたという説明も、合理的である。

 とはいえ、「日本」を名乗った、律令に基づく国家が、国民国家「日本」のアナロジーであるかのような見方はやはり、偏見である。

(ISBN4-634-54040-1 C1321 \800E 2001,5 山川出版社 2011,8,4 読了)