大藤 修『近世村人のライフサイクル』

 近世の村人たちの家族や人生がどのようなものだったのかを概説した本。
 これも類書が少ないので、助かる本である。

 一般論として、小農自立と言われたような現象が存在したのは事実だっただろう。
 村における身分的上下関係が平準化し、村役人以外の村の構成員がほぼフラットな関係になると、一般の百姓も、一個の家族となり「家」としての機能を持つにいたる。

 江戸時代の百姓家においては、多産多死でなく、少なく生んで大切に育てるのが一般だったというのは少々意外だが、田畑の分割相続に限界がある以上、そうでなければ「家」を維持することはできないから、多産なのは富裕な「家」に限られていたのだろう。

 大切に育てるということの意味は、現代とはかなり異なっていたようだ。

 家長が管理する子育てには、村や親戚や知人など、「家」に関係する人的ネットワークが濃密にかかわりを持っていた。
 現代は、子育てをめぐるネットワークが衰退し、国家による子ども管理が進行した一方で、子育ての責任は母親を中心とする親に集中し、子育ての技術や知恵が蓄積できなくなっており、ここに、深刻な問題が起きる背景がある。

 江戸時代における子育ての基本は、人格の陶冶と技術の習得にあったという。
 江戸時代における教育の目的には、ある程度の社会的合意が成立していたと思われる。しかし現代においては、教育学が唱える教育の目的と、親が求める教育の目的(そして国家による教育の目的)には、かなりのズレがある。
 このズレがどのようにして作られてきたのか、ていねいに見ていく必要があるだろう。

 江戸時代の人格陶冶は、「正直」「穏やかな性格」「無礼でないこと」などが基本的な目標だったようだ。
 「家」と共同体を維持する上で必要な基礎単位であるから、「個性」より人間関係を円滑にするスキルの方が重視されたのは、当然だろう。
 このようなスキルは今なお有効だから、基本的に穏やかな人間関係の上に、「個性」を保障するというのが、理想だろう。

 近世における「老い」は、おおむね40歳から意識されはじめたという。
 それは早すぎるようにも思うが、平均寿命が短かったわけではなく、40歳から長い「老い」の時期を過ごすと解されたのだろう。

 現在のように、60歳前後に突如としてリタイアするのでなく、次世代へ家督相続した(隠居)後にも、自分の持つ知恵や技術を駆使して働きつつ、人生の週末を迎えたらしい。

 人の人生に国家が関与することが、ある程度やむをえないとはいえ、現代は、その弊害も大きくなったと思わせられた。

(ISBN4-634-54390-7 C1321 P800E 2003,1 山川出版社 2011,7,19 読了)