長崎肇『原水協で何がおこったか』

 1984年、原水爆禁止世界大会の分裂とともに、日本原水協が、日本共産党の介入によって分裂した。
 運動に携わってきた人々にとっては、痛恨のできごとだったと想像する。

 この事件には余波があった。

 アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会という団体がある。

 リンク先を見ればわかるように、とても貴重な活動を行っている。
 かつて、この団体が主催する教師向けの夏期講座に、しばしば参加していた。
 学士会館あたりで開かれており、一般マスコミからは得られない、外国のリアルな文化や実像を知ることのできる、貴重な機会だった。

 その年の講義の目玉は、江口朴郎氏だった。
 江口朴郎氏の描く現代史は、一つの国で起きた一つの事件がじつは、世界のあらゆる地域で起きた何かと必ずつながっているということを示すもので、これぞ世界史、これぞ弁証法というべき、スケールの大きな歴史である。
 氏の書いた第一次世界大戦など、いちいち目からうろこの思いで読んだものである。

 したがって、とても楽しみにして出かけたのだが、行ってみると、会場は奇妙に不穏であり、主催者は歯切れのよくない口ぶりで、江口先生の講義が中止になったと説明した。
 そのときの説明は確か、原水協の路線をめぐって江口氏の対応に問題があるということだった。

 原水協と教師向け講座とは無関係なので、一般の参加者には状況がつかめなかったのだが、共産党と原水協指導部との間に問題が起き、共産党の路線の押しつけによって、良心的な文化人が原水協から排除されつつあり、江口氏がその渦中にあるのだということは、うかがえた。

 原水協の路線問題と、江口氏の講義には、何の関係もない。
 アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会が江口氏の講義を中止にしたのは、氏と共産党との関係が微妙になっていたからに他ならない。
 アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会が、市民団体を偽装した共産党の下部組織でないなら、江口氏の講義がいきなり中止になるはずがない。

 会場からは、きびしい批判が出たが、主催者の弁明は苦しげだった。
 そして自分は、これ以後、この団体とかかわりを持つことをやめた。
 このとき会場にいた多くの参加者の中にも、そういう人がいただろう。

 共産党指導部は、自分たちの路線に疑問を持つ人々を原水協やアジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会から排除して、満足したのだろう。
 当時、原水禁運動の一翼を担っていた総評の路線に大きな問題があったのも、事実である。
 しかし、同党指導部のこうしたふるまいが、この党を回復不能な状態にまでやせ細らせていったことを、当事者たちは今、どれほど理解しているのだろう。

(ISBN4-8175-1124-9 C0036 P1000E 1984,8 日中出版 2011,6,28 読了)

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