江森陽弘『ダムに沈んだ村』

 ダム建設が決まった徳山村がどうなったのかを、増山たづ子さんの視点から描いた本。
 後半は、増山さんの半生記である。

 『浮いてまう徳山村』『徳山ダム離村記』のノートにも書いたが、村を廃村にするほど重大なダムにもかかわらず、反対の声がほとんどあがることなく、徳山ダムは建設された。

 徳山村は、ダム計画を断念に追い込んだ木頭村と対極に位置する。
 決定的な違いは、村のリーダーたちに、何が何でも村を存続させようという気概とポリシーが存在したかどうかである。

 これは、かなり怖いことだ。
 山村の村長は、本人の気概やポリシーや将来構想力などとはまったく別次元の論理で選ばれることがほとんどだろう。
 低レベルな村長に、ダム問題にどう対応するかなど、理解などできるわけがない。

 徳山村の場合、国が計画したことに抵抗しても無駄という前提からすべてが始まっている。
 それ以前に、過疎の山村を維持できるわけがないから、補償金をもらって早く都会に出た方がよいという価値観を、村当局自身が持っていたふしがある。
 それは、村の存在を否定する価値観である。

 景観や大地や年中行事や生活の知恵や人のつながりなどより、カネの方が大切と思ってしまえば、村の存続など、何の意味もなく、いかに高く売るかのみが、関心事となる。
 増山さんが違和感を述べておられるのは、そうした考え方に対してである。

 増山さんを含めて旧徳山村の人々が、「日本一のダムを作ってほしい」と願うのは、残酷なことである。
 失うものが大きいだけに、それに対する代償が小さい(どころか負の価値しか持たない)などということがあってほしくないのは、当然だろう。

 しかし、その感覚には、戦争による犠牲に見合う成果や評価を求める感覚と通じる部分が、ないだろうか。
 正しい戦争だったと強弁することによって、犠牲者が無駄死にでなかったことを証する論理に、正当性はない。

 廃村になるという、これ以上ない犠牲に見合う補償は、なんだろうか。
 例えば、ダム建設が中止になるということは、村民にとってこの上ない悲劇だということは間違いない。
 進むも地獄なら退くも地獄である。

 退くことは、政治家・官僚・村民の顔に泥を塗る行為であり、村民の心を弄んだといわれても、しかたのない行為である。
 それでは、取り返しのつかない甚大な列島の環境・生態系破壊であり、文化の破壊であるダム建設に無駄ガネをつぎ込むことが、ベターな選択だといえるのだろうか。

 遠い将来、後悔しない選択とはなにか、よく考えなければならない。

(ISBN4-7733-6201-4 C0036 \1500E 1997,11 近代文芸社 2011,2,18 読了)