加太こうじ『関東侠客列伝』

 幕末から近現代にかけて、侠客と呼ばれた人々の実像やその周辺に関する蘊蓄の詰まった書。
 『アウトローの近代史』と比較すると、内容の重厚さを強く感じる。

 もっとも、最後に記述されている田代栄助に関する部分は、印象批評めいていて、かなり物足りない。

 本書の白眉は、博徒・香具師などと呼ばれる人々がどのようにして発生し、どのような系譜を経て現在に至っているのかという記述と、各種賭博行為の実態やイカサマの手法等を詳述している点だろう。

 久しく以前に本書を求めたのは、やはり、秩父事件に存在する「博徒」の実態についてのヒントを得たいという気分があったからだが、再読してみて、いくつかの点を再確認することができた。

 著者が縷々強調しているのは、近世以降の博徒は貨幣経済の蔓延にともなって生じたという点である。
 この点については、おそらくそうなのだろうとは思うが、今少し研究を深める必要を感じる。

 秩父事件の震源地となった山地農村は、明治初年に、養蚕・製糸業によって大金の動く、一種のバブル時代を迎えた。
 養蚕・製糸をバブルと呼ぶのは、正鵠を得ていないかもしれないが、いまだ確たる技術も未確立な状態で身代を賭けるほどの投資を行う人々を、資本主義形成期のフロンティアと美化するだけでよいのかという迷いがある。
 ともあれ、養蚕・製糸業もまた、一種の賭けだったことは間違いない。

 大金を得る人々も、大金を必要とする人々もいたのである。

 本書にはまた、関東一帯の著名な博徒のプロフィールが略述されている。
 近代以降、講談や浪曲によって創作され美化されたとはいえ、侠客の実態は、博打のテラ銭を主たる収入とし、とるに足らぬ些事を原因とする喧嘩や仕返しや縄張り争いに明け暮れていたようだ。
 幕藩制時代には、関八州取締出役の手先として、いわゆる「二足のわらじ」を履くものも、多かった。

 それが「博徒」であれば、田代栄助や加藤織平、高岸・坂本・落合の「困民党トリオ」などは、「博徒」の範疇には当てはまらない。
 彼らは、テラ銭を主たる収入とするプロの「博徒」ではなく、本業の傍ら博打をたしなむ普通の民衆に過ぎない。

 田代は、「子分と称するもの200名」と述べてみたり、過去の殺人(?)を誇ってみせたりするが、彼の実態は多額のテラ銭を得るどころか、負債のため土地を喪失する危機に立ちながらも、天蚕飼育のため山に泊まりこむ精農である。
 高岸は紺屋、坂本は鍛冶屋で、いずれも養蚕に出精する人物だった。
 彼らを博徒=ヤクザと同列に位置づけるのは、事実誤認も甚だしい。

 ただ一方で、例えば落合寅市が自分を「博徒」と呼んでいる事例もある。
 彼らの「博徒」としての自己認識が、どのようなイメージに基づくものであったのかについては、さらに検討する必要がある。

(1984.2 さきたま出版会 1994,9,8 読了 2010,10,16 再読)