飯島裕一『疲労とつきあう』

 常時、疲労とつきあっている。
 どうにかして疲労から逃れたいものだが、人生とはそのようなものだと考えるしかないのかもしれない。

 よく考えてみると、疲労の質が変わってきていると思う。

 学生時代の疲労は、主として肉体的疲労だった。
 疲労を解消するためには、睡眠できさえすればよかったのだが、その時間がなかなかとれなかった。
 当時は、職にありつければ楽になるかと思っていた。

 就職した後、若い頃は、仕事の忙しさより、自動車で片道1時間ほどの通勤が苦痛だった。
 仕事量もそれなりに(自分にとっては)多かったと思うが、体力に余裕のあるうちは、仕事そのものの疲れは、それほどでもなかった。

 1990年前後から、職場にコンピュータが侵入した。
 最初は、オフィスの隅で慎ましやかに存在していたのが、1995年頃から職場のなかの最も中心的なスペースに鎮座するようになり、コンピュータに無縁な人々からは顰蹙を買った。

 2000年を過ぎると、コンピュータの使い方を知らないことは、無能と同じだというような雰囲気が発生し、やがてそれが職場全体に蔓延していった。
 疲労感の質は、1990年代から変わってきたと思うが、コンピュータの登場と普及がそのことと深く関連していることは間違いない。

 自分の場合、仕事の性質からいって、そもそも終わりというものがない。
 それに、頑張れば頑張るほど、効果があるのも確かなので、頑張ることに抵抗感がない。

 2000年代に入ってしばらくしてから、いわゆる成果主義的人事管理が導入され始めた。
 アメリカや国内一部の企業ではすでに破綻が指摘されたやり方であったが、なにごとも周回遅れで始まるのが、この業界なのである。
 成果主義的人事管理と言っても、この仕事は、開発やセールスのように、個人の頑張りが即、成果に反映するという性質ではない。
 また、人事査定の根拠たるべき成果にしても、それを数値的に表現するのは、どだい不可能である。例えば、いじめの件数を減少させるという目標を定めたとしても、いじめの概念自体が漠然たる規定なのだから、それらの数値は根拠あるものとは言えないのである。

 が、自らも厳しく管理されている中間管理職たちは、進学率とか、出席率とか、退学率とかいった、明確な数値を人事管理の根拠として追求するようになった。
 そのことは、ほんらい協業によって成り立っていた業務を、個人の仕事へと分断し、結果的に仕事はうまくいかなくなったが、この仕事の性質上、停滞の原因を追求することはできず、責任はすべて個人に転嫁された。

 民間企業であれば、失敗の原因の真摯な追求を怠れば、破綻するのだが、ここでは、単純な責任転嫁によって問題が完結してしまう。

 こうして、多くの人がオーバーワークを競うようになった。
 その空気に抵抗して、普通に立っているのは、厳しいことである。
 まして、こうした時代になってから職場に来た若い人々は、これが当たり前だと考えているだろうから、最初から苦しい仕事人生を歩んでいるのではないだろうか。

 こうして本書にあるような、主として心の疾患に襲われる人が激増した。
 本書は、休みなさいと書いているが、誰もが、休むことなどできるわけがないし、休んだら自分はお終いだと考えている。
 かくいう自分もそうである。

 どこかでこの流れを断ち切らなければならない。
 その前に、「休むべきだ」というメッセージをこの本から受け取ったことは、いつか生きてくるかもしれない。
(ISBN4-00-430459-8 C0247 P650E 1996,8 岩波新書 2010,8,3 読了)