江宮隆之『山本勘助とは何者か』

 信玄が、というより戦国大名が面白い理由の一つは、ユニークな軍略スタッフが存在する点だろう。
 武田信玄のスタッフだった山本勘助もその一人である。

 著者によれば山本勘助は、アカデミズム史学によって、存在自体を否定されてきた人物である。
 現在、勘助に関する資料も発見されており、存在自体を否定する学者はいないだろう。
 とはいえ、勘助の事績については、彼が活躍したことを最もよく語る『甲陽軍鑑』の史料的価値が限定されていることから、はっきりしたことはほとんどわかっていないどころか、明らかに牽強付会ないし捏造と思われる諸説があるために、勘助の実像をよりわかりにくくしている。

 じつは本書の一部にも、日本各地に残る「勘助伝説」に乗っかって書かれたと思われる部分があるようにも思うのだが、山本勘助の前半性については、よくわからないのが実際のところだろう。
 ともかく、三河ないし駿河出身の浪人軍略家で、あるとき武田信玄の帷幕に参画し、相応の活躍をなしたが、川中島の戦いで戦死したというのが、確定的なところらしい。

 だとすれば武田の他の家臣と特に異色な点などないではないかということになるが、それもまた、そのとおりではないかと思う。
 たとえ障害者であったとしても、軍略家としての才能があれば登用するのが、信玄の合理主義であり、彼の強みだった。

 下克上の乱世でなければ輝くことのなかった個性を躊躇なく拾いあげる信玄も、乱世の星である。

 二世だの三世の権力者が、トンチンカンなことをしているにもかかわらず、権力を握り続けている硬直した時代にあって、動乱の時代を知恵と力の限りを尽くして戦い抜いた人々の姿は、一服の良剤だ。

(ISBN4-396-11054-5 C0221 2006,11 祥伝社新書 2010,6,27 読了)

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