辺見庸・佐高信『絶望という抵抗』

 骨太な二人の論客による対談。

 「日本」と称する国は、軍事的・侵略的国家へと再生するために、侵略の歴史を偽造し、「法」や制度の再構築を着々と進めている。
 対談のモチーフは、その流れにいかに抗するかである。

 全体を貫くキーワードは、「魯迅」である。

 耳あたりのよい、ファナティックな言語は、味方を撃たない代わりに、敵をも撃たない。
 お二人が言うに、魯迅には、肉を斬らせて相手の骨を断つ、本質的な告発があった。
 自己弁護と自己満足に終わっていたのでは、支配者と腰を据えて闘うことなどできない。
 自分を安全圏においていたのでは、闘えない。

 国家を牛耳る特権層は、自らに都合のよい「法」を整備し、マスコミを操って世論を誘導し、制度を整える。
 抵抗の余地はほぼ、ない。
 しかしそこから抵抗しなければ、人間が、憎んでもいない相手と殺しあわねばならなかったり、死ぬまでこき使われて捨てられる世の中が訪れることになる。

 とくに辺見氏の語りように、愚痴のような響きがあるのは否定できない。

 抵抗の余地がほとんどなくても、ごく僅かな可能性に賭けて、国家に挑むべきだという議論だが、それはもっともだと思う。

 ただし、自分の考えるキーワードは、「地域」や「暮らし」である。
 そのあたりが、お二人とは立ち位置がやや異なっている。

(ISBN978-4-906605-99-6 C0036 \1500E 2014,12 金曜日 2015,2,1 読了)