NHK取材班『朽ちていった命』

 1999年に茨城県東海村で起きた、臨界事故で致死量の放射線を被爆した大内久氏の、壮絶な治療記録。

 人間が大量の中性子線を浴びる事故は、この国では、この事件が最初だった。
 また核施設で、事故による制御不能の臨海が発生したのも、これが初めてだった。

 住宅街の一画で起きた事故だっただけに、事故発生直後の報道は、放射能漏れがどの程度だったのかとか、JCOという名前のそのウラン加工会社が、どのような作業マニュアル違反を行っていたかに集中し、大内氏と篠原氏の容態については、あまり多くなかったと記憶する。

 両氏に関する報道が多くないのは、放射線被爆の実態をあまり知らしめたくない国家の意思が働いているように、当時は感じていた。

 放射線被害とは、放射線を浴びることによって、生き物としての設計図である染色体が破壊されることである。
 大内氏の場合、被爆直後には、一見した限り致死量の放射線を浴びたとは思えないほど元気だったが、その時点ですでに「人間としての設計図」は失われていた。

 氏に対し、国家の総力をあげた最先端の治療が行われた。
 考えうるあらゆる薬品を使い、治効を期待できるあらゆる機器を駆使し、海外から被爆治療の専門家を招請して意見を聞いた。

 深刻な病気に罹患するのは不幸なことだが、多くの患者は、なんとしても死なせないというような治療を受けたりしない。
 生命が有限であることを思い知るのは辛いことだが、周囲も本人も、どこかの時点でそれを受け入れていく。

 本人は治療開始後まもなく言葉を発する手段を失ったから、どのように感じていたかはわからない。
 それどころか、どの時点まで意識があったのかさえ、わからない。

 治療チームとご家族の思いは、よく伝わっている。
 だがこの本には、大内氏の治療をめぐる重要な何かが、書かれていない。
 それは、氏の治療に対し働いていた、国家の意思である。

(ISBN978-4-10-129551-0 C0147 \438E 2006,10 新潮文庫 2013,1,3読了)