江波戸哲夫『西山町物語』

 新潟県刈羽郡西山町の、戦後を中心とする定点観測史。


 現在は北陸自動車道のインターチェンジもあり、JR越後線も通っているとはいえ、周囲を低山に囲まれた平地農村地帯である。
 田中角栄氏の出身地であることは有名だが、田中氏の選挙区だった他の地域と比べて特に、インフラやハコモノ建設が進んでいるという印象はない。
 現在は柏崎市に併合され、町の印象は一段と薄れた感じがする。

 列島各地の農山村とまったく同様に、西山町も、戦後の農地改革・農業振興と高度成長期以降の農業不振、人口減と産業全般の不振というコースをたどった。

 この村でも、過疎化の流れに棹をさすには、工場誘致以外にはないと考えられた。
 町出身者の縁によって誘致された工場は、地域の主婦を中心に労働力を吸収し、一時的には軌道に乗るかに見えたが、高度成長期を通して、都市部との経済格差は地域を確実に侵食していった。

 オイルショック後の厳しい時代になると、首都圏あるいは柏崎等の近隣都市圏への労働力流出が深刻な事態となった。
 高速道路網が整備されたとはいえ、経済状況が厳しくなれば、首都近県との物流条件のハンディも、重くなってくる。

 自由経済においては、地方に課せられたハンディは、克服不能と思う。
 それは、一周遅れでスタートさせられながら、追いつけないのは努力が足りないからだと言われるに等しい。

 ここで生まれ育ち、戦後政治の主役として生きた田中角栄氏は、地域の再生に関し、どのような戦略をもっていたのだろうか。
 『日本列島改造論』は、彼なりの結論だったのかもしれないが、それが早々に破綻することくらい、見通せなかったとは思えない。

 田中氏といえば、新潟県で露骨な利益誘導政治を行ったとして、指弾されることも多い。
 県内に、田中氏の権力に由来する莫大な国家予算が投じられたとすれば、新潟はもっと繁栄しているはずだが、現実はその逆である。

 思惟するに、自由経済自体に根本的な欠陥があるといわざるを得ない。

 効率優先とは逆の発想で国づくりを行う必要があるのではないか。

 たとえば、人口に応じて議員定数を決める発想から、面積に応じて定数を決める発想への転換。
 たとえば、国土保全型産業(たとえば農業や林業)への国家的な保護政策と資源消費型産業への課税強化。
 たとえば、過密地域への課税強化と過疎地域での大幅減税。

 これらによって、国際的な「競争力」は一気に低下するだろうが、身を粉にして働き、経済成長に貢献することだけが、人にとっての幸福ではあるまい。
 「競争」とは無縁の国(というか人の生きるエリア)づくりを、いずれは始めなければならないときが来る。

 2010年6月現在、参議院議員選挙のさなかであるが、どの政党も相変わらず「成長」幻想から自由になってはいない。

(ISBN 1991,11 文藝春秋 2010,6,25 読了)

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