知花昌一『焼きすてられた日の丸』

 1987年10月に行われた国民体育大会ソフトボール競技の開会式会場に掲げられた「日の丸」を著者が引き下ろして焼き捨てた事件とその後の裁判は、この時期を画するエポックだったのだと感じる。

 沖縄戦以来、「日本」が主権を回復して以降も沖繩がアメリカによって占領され続けたのは、天皇及び日本政府による棄民だった。

 琉球諸島は、明治維新後日本に組み込まれ、北海道同様に内国植民地として扱われ、諸島の住民は差別にさらされ続けた。
 諸島の住民は、琉球人としてのアイデンティティを放棄して「本土」と同化すれば差別は軽減されると考えたが、この国の差別問題は文化や外見に起因するものではない(何があっても差別されるものは差別される)から、敗戦による天皇制の危機に瀕した「日本」は、琉球列島を時間稼ぎのための一枚のカードとして、使い捨てた。

 沖縄戦当時、著者の住む村では、「日本」軍兵士によって集団自決が強要される一方、「非国民」といわれた人物に率いられた人々が投降して、生命を全うした事実があるという。

 「日本」によって棄てられた琉球列島は、冷戦構造のもと、西太平洋と東アジアにおけるアメリカ軍の戦略上のキーストーンと位置づけられ、朝鮮やベトナムへの前線基地化し、土地と主権を奪われた住民の苦難は、戦前以上となった。

 「本土」住民の戦争に対する意識は、1960年を画期として、経済成長と反比例するように後退の一途を辿った。

 沖繩の「施政権」返還は、広大なアメリカ軍基地を維持し、「日本」の憲法や法律を実質的に否定したもので、琉球列島はまたも、「日本」に裏切られることになった。

 「日本」は、基地が存在することによって被らねばならない被害を琉球住民に押し付け続ける一方で、「日本」へのさらなる同化=奴隷化を迫った。
 「日の丸」掲揚の強要は、琉球を差別し、遺棄し、裏切ったものに対して跪けというのに等しい。

 「日の丸」焼き捨て事件は、このような文脈で理解される。

 事件に伴い、警察・検察・裁判所の国家権力と右翼は一体となって、著者と村を攻撃した。
 これは、差別者「日本」に頭を下げぬものは、抹殺するという国家の意思である。

 2010年2月現在、アメリカ軍普天間基地の移転問題に、明確な展望は見えていない。
 御用マスコミは、「安保が大事か、連立が大事か」などと、見当はずれな方向へ世論を誘導しようとしている。
 琉球諸島を「領土」の一部だと主張するならば、琉球にアメリカ軍を永遠に駐留させ、苦難を押し付け続けるなど、できるはずがない。

 「日本」がまたも琉球を裏切るのかどうかが、今、問われているのである。

(1036-0622-3299 1600円 1988,10 新泉社 2010,2,12 読了)