高田宏『われ山に帰る』

 『心の民俗誌』の著者で、作家の小山勝清の伝記。


 小山は、青年期には堺利彦に師事して革命をめざし、壮年期には柳田国男に師事して民俗学を志し、その後は主に子ども向け文学の作家だったが、一生を通じてその人生は、無頼そのものだったと見える。
 変転著しい彼の人生を貫いていたのは何だったのかを、たいへん鮮やかに描き出している好著である。

 惨憺たる現実はいつの世にも、至るところに展開する。
 無惨を見ない世の中とは、どういう世の中で、どうすれば可能か。

 革命の夢は、官憲の弾圧によって崩れた。
 柳田民俗学は、平地民の日常を記録することに終始しているように思えた。
 友人だった北一輝がクーデターによって国家社会主義をめざそうとした構想には、乗っていけなかった。
 社会主義ソ連は、ニセモノと思えた。

 『心の民俗誌』を読むと、小山は、所有権が法的・思想的に確立する以前の村の姿が、理想と考えているように見える。
 共同体が健全に機能してさえいれば、村民の誰かが食うに困るような事態は決して起きないはずだ。

 共同体機能の回復のためにはどうすればいいか。
 それにはやはり、心の持ちようをしっかりしなければならない。
 将来の共同体を担う子どもたちには、知恵が必要だ。

 アメリカに敗れたとき、小山は球磨一郡で独立してアメリカと戦おうとしたが、権力の末端で死ぬまで戦えと叫んでいた人々は、揉み手をしてアメリカ軍を迎えた。
 説明のつかない精神的デカダンスを前にして、心の平衡を保つのは困難だった。

 同じ熊本人である室原知幸の先駆的な闘いに、小山が共感したのは当然だった。
 室原のように闘う人間が存在することを知ることができたのは、彼にとって幸福だったのではなかろうか。

 彼の人生を一貫する無頼はみごとだが、美しいとは思わない。
 彼は、山で暮らす人々に真実を見たが、自分自身は山で生活しなかった。
 転がり落ちるような斜面で、芋の一つでも作ってみれば、世の中がずいぶん変わって見えたのではないか。

(ISBN4-00-260027-0 C0395 \880E 1990,6 岩波同時代ライブラリ 2010,1,2 読了)