小林峻一・加藤昭『闇の男』

 日本共産党のかつての指導者で、コミンテルンの幹部でもあった野坂参三の正体を追求した書。

 野坂自身は、同じく日本共産党の戦前の幹部であった山本懸蔵をソ連の秘密警察に密告し、山本を処刑に至らしめたことを理由として、共産党から除名されている。

 山本逮捕・処刑が野坂の不実の密告によるものだったことは野坂自身も認めたようであるが、一番の問題は野坂がなぜ、そのような行動をとったかという点であろう。
 山本が野坂を密告しようとしていた説もあるが、その密告が不実だったかどうかは、永遠に明らかにならないだろう。

 本書には、野坂とは、果たして何重のスパイだったのかさえわからないという笑い話が記されている。
 野坂をスパイとして使用したと疑われる機関は、日本の警察・ソ連の秘密警察・アメリカ占領軍・戦後の日本政府と、数多い。
 その中で、最も確実そうなのは、彼がソ連秘密警察のアジェンタ(エージェント)だったというものであるが、日本共産党の調査では、その点についてはほとんど明らかにされていない。

 野坂は、コミンテルンの当時の活動家育成にもかかわっていたが、日本やアメリカで組合や革命運動に関心のある青年を誘ってソ連に呼び込み、日本語教師や活動家に仕立てていくというやり方は、北朝鮮による日本人拉致の原型そのものである。

 極めて記憶力の優れた人物だった野坂がすべてを語れば、スターリン時代のソ連やコミンテルンについて、多くの謎が解明されるのだが、それはもはや不可能である。

 本人は戦後も、共産党の最高指導者である一方で、過去の隠蔽に心を砕き続けた。
 共産党幹部として一定の役割を果たしたことが、彼をしてなおのこと、過去を隠さねばならぬという思いにさせただろうことが想像される。

 戦前・戦後の日本共産党の幹部には、怪しい人物が少なくない。
 それは共産党に対し、権力がいかに警戒感をもっているかを示すものでもある。

 無謬主義など無意味である。
 この党がこの国の革命運動の一部を担っているのは間違いないのだから、民衆史の一部として、党を離れようが離れまいが、いろいろなことを語ってほしいものである。

(ISBN4-16-347980 C0031 P1600E 1993,10 文芸春秋 2009,12,22 読了)