お弟子さんによる、牧野富太郎の伝記。
アカデミズムとつかず離れずの立ち位置にいた牧野が、植物分類学という、基礎的で困難な仕事において巨大な紙碑を残した事績を丹念に追っている。
政治とは全く無縁の存在だったと思われる牧野植物学の出発点が、明治初年の学習結社・民権結社にあったというのは、意外だった。
また、牧野の故郷が『猿猴 川に死す』の著者・森下雨村と同じ町だというのも、興味深い。
家業を放棄し、生計の糧を得ることにもこだわらず、学閥の中を泳ぐ術とも無縁ながら、これだけ大きな仕事をなしたのだから、大変なことである。
彼がアカデミズムと離れることができなかったのは、大学の助手あるいは講師として大学とつながりを持っていないと、図書や標本を利用できないからである。
国税で運営されているのだから、所定の手続きさえ踏めば資料閲覧は基本的に自由であるべきだが、アカデミズムにそのような発想は全く存在しない。
まさに特権階級の殿堂というほかなく、アカデミズムとはつまり、私利私欲・名誉欲のかたまりであると言わざるを得ない。
著者は、牧野の側にも問題があったとして、両成敗的な書き方をしているが、それはアカデミズム内部の常識(実際には非常識な部分が多い)に照らせば問題があったという程度ではないかと思われる。
知の独占は、支配階級の特権である。
知は今なお、経済価値である。
経済価値とは、(「おおやけ」の反対としての)「わたくし」にとっての価値である。
そこで知は、儲かるか儲からないかの問題となる。
研究を職としている人々にとって、研究成果がそのステイタスに直結するのだから、やむない気もするが、それが競争化している現状は、やはり醜悪である。
知が飯の種である以上、それは変わらないだろう。
牧野は、各地で行われたフィールドワークを熱心に指導し、アマチュアに対しても分け隔てなく、参加者が興味をかき立てるようにわかりやすく解説したという。
新しい知に接し知識欲を喚起させられる快感を万民に分かつことこそが、学問に携わる人の本質的なつとめであるはずだ。
現在の学問もまた、ずいぶん貧相なものになり果てているのではなかろうか。