金子毅『インフラの源流はダム』

 二瀬ダム・奈良俣ダム・浦山ダム・滝沢ダムなどを手がけた建設省=水資源公団技師の回想記。
 基本的には、自慢話のたぐいである。

 著者はキャリア官僚でないので、ダムを建設することが日本列島の地形にとってどのような意味を持っているかとか、地域の文化とダムの関係とか、ダムの対費用効果など、ダム造りの基本的な考えについては、ほとんど語っていない。
 ここに書かれているのは、どのようにダムを造るかということである。

 現場の人々が、どのような意識でダム建設に携わっているかを、この本で知ることはできる。

 国の事業だから、予算の範囲内でしか仕事はできないのだが、ダム予算は累乗的に膨張するのが一般的だから、予算など、あってなきが如しであり、本体工事までに数千億が投入され、後戻りはできないのが一般的だ。

 ダムの問題は、単純でない。
 ダム建設が計画されてもされなくても、山村で暮らすのは困難になりつつある。
 浦山ダムの補償が妥結した際、水没関係者によって著者が胴上げされたというエピソードは、著者の誠意が結実したと見ることはもちろん可能だ。

 しかし、水没住民にとって、過疎・獣害・学校や医療など生活インフラを奪われた秩父市浦山地区から脱出できる千載一遇のチャンスでもあった。
 補償金として投入された莫大な予算は、国民が納めた税金である。

 美しかった流れが姿を消し、濁った水たまりと化した浦山ダムの補償金をめぐって、汚い話も仄聞する。
 著者は、秩父地域関係者を説得するに際し、ダム予算は秩父にとって宝くじに当たったようなものだ、と述べられたようだ。

 ダム予算とはやはり、あぶく銭なのだと確信した。

(ISBN978-4-87889-312-4 C0051 \1143E 2009,4 埼玉新聞社 2009,10,21 読了)