田中圭一『良寛の実像』

 物語と化した良寛像を、史料に基づき批判した書。


 これを読むと、良寛が出奔するに至った家庭内の事情には、海運業の隆盛による名望家=名主家の動揺という背景があったことがわかる。
 また良寛家出の決定的原因は、継父との関係だったということが書かれている。
 本書を見れば、若き良寛の葛藤は、青年期特有のありふれたものだったと思われる。

 逐電した良寛が、放浪生活の中でどのような人間を形成したかが興味深いのだが、この点を物語る史料はほとんど存在しないようだ。
 厳しい自己研磨に励んだというような物語にはもちろん、根拠がない。

 彼は、禅宗系の寺院に入ったのだが、本書には、良寛が修験系の行者の影響を受けたと想像できる記載がある。
 虚名・虚飾を激しく否定することで家出したほどのナイーブな青年であれば、自らの肉体と精神を極限まで追い込むことで衆生の救済を図るというような教義に共感した可能性は大きい。

 偶像化した良寛は必ずしも無意味ではないが、偶像は現実ではない。
 偶像は現実と混同すべきでない。

 偶像は、そのときどきの支配イデオロギーに迎合する。

 偶像は、十分な批判ないまま史料に飛びつき、歴史を捏造する。
 偶像はまた、歴史の偽造や史料の偽造をさえ、伴う。

 本書には、良寛の偶像がどのようにして作られ、どのように利用されてきたかが分析され、良寛の歴史的実像に迫るための調査や研究が展開される。
 歴史の勉強はかくあるべきだという事例のような好著だった。

(ISBN4-88708-158-8 C1021 P2472E 1994,5 刀水書房 2009,10,1 読了)