井出孫六『中国残留婦人』

 中国残留日本人孤児について書かれた『終わりなき旅』の著者による、同書の姉妹編ともいうべき書。
 著者の熱い義憤が、読むものに伝わってくる。


 十五年戦争に際し日本は、対ソ戦略の一環として、満州へ国民を送り込んだ。
 送り込まれた人々は、恐慌後の生活破綻に苦しむ農山村住民が中心だった。
 彼らは、村の再建という使命感をもつリーダー以外は、好条件で勧誘され、満州の沃野を「開拓」すると騙された人々だった。

 「開拓団」としての彼らを送り込んだのは国家だったのだから、日本の満州支配が崩壊した後、彼らを安全に帰国させる責任が国家にはあったのだが、日本国家はその責任を完全に放棄した。
 日本国家は、国民を利用はしても、保護など決してしてくれない事実を、銘記しなくてはならない。

 本書は、ソ連参戦直後の混乱時における政府と関東軍の無責任を明らかにするのが中心的課題ではなく、敗戦からしばらく時間がたった後、満州に残された日本人女性・子どもの帰国に対し、意図的と思われるほど、政府が無責任・無策だったことを、詳細に究明している。

 意に反して中国に残された人々の帰国を阻む役割を果たした最大の責任者は、岸信介政権(なかでも首相岸)だったようだ。
 満州国の官僚として日本の満州支配にも一役買った岸は、アメリカの対日政策転換に伴い、戦犯として収監されていた巣鴨から出獄した後、対中国封じ込めを意図するアメリカの走狗として復活した。

 彼の挑発的な言動により、中国との国交改善の道が閉ざされるとともに、中国残留者の帰国は、20年以上も遅らせられることになった。
 残留者たちの人生にとって、20年という失われた時間はあまりにも大きかった。

 「残留孤児」の訪日調査が始まったのは、1980年代に入ってからだったが、日本政府は、その後も彼ら残留者のサポートをサボタージュし続けた。
 異国に放棄せられて30年以上も放置されながら帰国を切望しつつあった人々に対し、日本国家は、救いの手をさし伸べないばかりか、死亡まで宣告して、彼ら・彼女らを亡きもの視した。

 さらに数年間の訪日調査が行われた後、多数の残留者が存在するにもかかわらず、調査の概了を宣言し、身元が判明していても身元引受人の得られない人々は、そのまま放置された。

 また、帰国者へのフォローは、きわめて不十分にしか行われず、元残留者は、念願の帰国をようやく果たした母国で、困苦を強いられることになった。

 この国に、国民を守る意志など存在しないのだろうか。
 一方で、北朝鮮に拉致された後、帰国した人々に対しては、帰国後の生活を手厚く支援する法的整備がすみやかに行われている。

 ある人々は国家によって捨てられ、ある人々は(おそらくは外交戦略上の意図から)手厚く保護される。
 そんな国家に、税を納める意味があるのだろうかとさえ、感じてしまう。

(ISBN978-4-00-431119-5 C0221 \740E 2008,3 岩波新書 2009,9,9 読了)