滝一『破天荒釣り師』

 近藤市太郎氏というへら釣り師の伝記。

 へら釣りをしたことがないのだが、どんな釣りでも、釣りは奥が深い。
 サカナを知り、自然を知らねば、サカナを得ることは出来ない。

 サカナがいないならともかく、いるサカナが釣れないとすれば、何かが間違っているのである。

 どんな素人でも、何もわからずに釣っている人はいないから、どこが間違っているのか、考える。
 たいていの場合、釣れない理由の一つや二つは思い当たるから、次には何らかの対策を打つ。

 ちょっと思いつく程度の工夫をしない釣り人はいないが、その程度の工夫でサカナが釣れるはずもない。
 かくてまた、対策を考えることになるのだが、ほとんどの場合、結果に大差はない。
 従って、誰もが思いつく程度の工夫など、ほとんど意味をなさないという結論に至らざるを得ないのである。
 そこを突き破ることができる釣り人が、釣りのなんたるかを語ることができるのである。

 近藤市太郎氏は、職漁師ではない。そもそもへら鮒は食対象魚ではなく、ゲームフィッシング対象魚である。
 失礼な表現だが、氏はいわゆる「釣り馬鹿」の一人である。
 余暇に釣りを楽しむ程度では、釣り馬鹿の域に達するなど不可能だ。

 時間・財産など、人生のかなりの部分を釣りに注ぎ込まねばならない。
 これは結局のところ、人生をどう生きるかという問題である。

 本書がややファナティックにさえ思える筆調を帯びているのは、著者自身が釣り馬鹿予備軍の的存在だからだろうか。

(ISBN4-09-411611-7 C0195 P600E 2005,1 小学館文庫 2009,8,19 読了)