高杉良『市場原理主義が世界を滅ぼす』

 1990年代以降隠微な形で進行し、小泉純一郎首相の登場とともに劇的に展開した市場原理主義的経済政策を痛烈に批判した書。

 1980年代のサッチャリズム、レーガノミクスと続いた市場原理主義は、1990年代のアメリカで本格的に開花し、その後日本に転移した。
 これを日本人の多くがおおむね従容として受け入れた理由は、追究に値するテーマだと思う。

 1960年代から1970年代にかけて、日本では、権利や福祉、賃金の拡大が進行した。
 社会主義との対抗上、また国内の革新・革命勢力との対抗上、国家や企業の側は、譲歩を余儀なくされていた。

 賃金上昇も権利拡大も、座して得られたものではなかったのだが、国民の側にとりあえずエスカレータに乗っかっていれば安泰だという意識が生じただろうことは否定できない。

 革新・革命運動は、一見すればドラスティックに展開しているかに見えたが、もの作りの現場や地域の人間関係が画期的に変化したわけでは全くなかった。
 社会が変わるとは、生産現場や地域社会が変容することだろう。

 学生運動は、国民の耳目を集めるには十分な話題性を持ったが、多くの場合、個々の参加者にとって、脳内革命に過ぎなかった。

 高校生や学生の運動であれば、既成の学校秩序を否定し権威を否定するだけでなく、どのような学びの場を作りだしていけるかが問われていたのだが、多くの場合、運動はそこまで成熟していかなかった。

 箱庭のような「解放区」で過激な言辞を弄していた者ほど、生産や地域の現実とのギャップにとまどい、それに屈していっただろう。
 かつての革命的言辞への自己批判もまた、変革への意志など熱病に過ぎなかったというように、安易に行われた。

 運動は体調の一途をたどっていったかに見えたが、ホンモノが育っていったのは、それからだったと思いたい。

 1980年代末以降、既得権が少しずつ否定され、国民の側の分裂と対立は、激しさを増していった。
 ホワイトカラーは自己を守ることに汲々として、ブルーカラーを見下し、そして見捨てた。
 国鉄労働者の首切りが行われたことは、権力側が国民の足元を見切ったことを意味していた。
 このとき日本人は、徹底的に抵抗すべきだった。ここで国民的な反撃が行われていれば、1990年代はずいぶん異なった形で展開していただろうし、日本はもっと人情ある社会になっていただろう。

 1990年代になると、生産や販売の末端現場で働く人々による、ホワイトカラーへの反撃が始まった。
 彼らの既得権がやり玉にあがり、ホワイトカラーもまた、息つく暇なく働くことが強要されるようになった。
 自己防衛のためには、死ぬほど働くか、職場をうまく泳ぐしかない。

 死ぬ人や、ドロップアウトする人が多くなり、世の中は荒廃していった。

 荒んでいく職場や社会を尻目に、新たな特権階級が形成されていった。
 それは、株や証券の売買によって莫大な利益をあげて、巨大な財産を手にする人々である。

 この本は、マネー至上主義の思想を鼓吹し、特権階級の利益をさらに拡大する方向へ、日本経済の構造を変えていった政治家・財界人を厳しく批判している。

 国民や社員全体の利益を考えた国家・会社運営がなされねばならないという指摘は、当然である。
 問題は、それを実現する上で、どのような動きが必要なのかということだろう。

(ISBN978-4-19-892931-2 C0130 P590E 2009,2 徳間文庫 2009,4,24 読了)