福地誠『教育格差が日本を没落させる』

 大阪府知事が「社会に出たら全部競争。競争を否定して、競争の荒波に子どもたちを放り投げて後は知らん顔する。一部の教員の無責任な態度だ」(2008,11,25 Asahi com)などという発言をすると、多くの人が支持する。
 この発言は基本的にピントはずれなのだが、なぜ的外れなのかをきちんと説明するのは、そう簡単ではない。


 教育の現場では、教育学を踏まえた話をしなくてはいけない。
 教育学は、教育の目的とは人格の完成だと教えている。
 競争に勝つことを目的として教育するのでは、家畜の調教と同じだ。

 だが、このような教育の理念を説かれても、親は釈然としないだろう。
 経済格差の現実を見れば、自分の子どもをワーキングプアの蟻地獄に落ちさせたくないと思うのは、当然だ。

 人格の形成や個性の伸張を言っていたのでは、生活が成り立たないと脅されたら、何も言えない。
 特権階級は自己に都合の良い経済ルールや制度を作っては、飽食を恣にするが、一般人が不満を形にすることは、許されがたい。
 道徳教育というマインドコントロールを従順に受け入れないものが排除される仕組みは、公教育段階で完成しようとしている。

 かつては、経済的に多少のハンディがあっても、ある程度の努力によって高等教育を受けることは、必ずしも不可能ではなかった。
 しかし今や、経済格差がそのまま教育格差となり、経済格差が次世代へと再生産されている。
 本書はそうした現実を分析している。

 大阪府知事のようなポピュリズム教育観が支持されている限り、教育の調教化と教育格差の再生産は、さらに拡大される。
 特権階級にとって、それはけっこうなことであるかも知れないが、想像力・創造力の根源は、自由な精神にある。

 だから日本の知はいずれ、枯渇していかざるをえない。
 福沢諭吉が門閥制度を糾弾したのは、広範な国民からエリートを選抜しなければ、国家の将来が危ういと確信していたからだろう。

 世襲制度が国家や社会を衰退させると気づかないリーダーや国民が多数である限り、いずれこの国は没落せざるを得ないと、自分も感じる。

(ISBN978-4-86248-297-6 C0236 \760E 2008,9 洋泉社新書 2008,12,8 読了)