畠山剛『炭焼きの二十世紀』

 岩手県の近代製炭業史。
 史料と聞き書きによって、各時代の木炭生産がどのような位置づけにあり、どのような人々が炭を焼いていたのかを概観できる。

 岩手の木炭生産は明治後期に本格化する。それはほぼ、20世紀の幕開けと時を同じくしていた。
 それ以前にも製炭は行われていただろうが、木炭が首都圏へ移出するための商品として生産されるようになったのは、そこが出発点だった。

 技術革新と品質改良は、いずれの産業の草創期にあってもドラマチックである。
 初期の製炭にかかわる史実は、製炭業近代化にむけた試行錯誤の歴史を語っている。

 例えば埼玉県と比べれば、岩手県は近隣に大消費地をもたないから、商品生産の上で甚大なハンディを負っていた。 
 ハンディを最終的には、生産者に押しつけるのが、日本の産業構造である。
 岩手県における製炭業もまた、働く人々の犠牲の上に成り立っていた。

 戦争中の統制経済のもとで一時的な粗製濫造が行われたが、戦後は「燃料革命」の時代が訪れるまでは、再び製炭業が隆盛する。
 今、奥秩父あたりの山を歩いていてしばしば見かける窯跡は、この時期の残骸だろう。

 1960年前後を境に、日本の木炭生産は壊滅状況となった。
 最大の生産地である岩手県でも同様だった。
 埼玉県秩父地方でも、自家用に炭を焼き続ける人々がいたが、高齢化や住宅改築が進んだことによって、製炭技術そのものが消滅寸前である。

 しかし、最後に著者が述べておられるように、木炭は永遠に再生可能なエネルギー源の一つである。
 製炭業は、林業と密接に関連しているが、ナラ類(東日本の場合)を中心とする原木は萌芽更新によって再生する。
 搬出手段さえ確保できれば、雑木林の樹木は、低コストで利用・再生できる。

 一時期、ホームセンターでマングローブ炭が安価で販売されていた。
 良い炭だったが、エビ養殖の拡大とともに、東南アジアの自然環境破壊に手を貸すことになった。

 岩手の炭が今、再び売れ始めているらしい。
 需要も減ったが、商品としての木炭生産が全国的に壊滅したのが、岩手炭復活の背景にあるのではなかろうか。
 本格的な木炭復活の道はまだきびしい。

 燃料価格高騰の今(2008年)、石油が安ければいいのか、根本的な考え直しの必要に迫られていると思う。

(ISBN4-88202-791-7 C0021 \2000E 2003,3 彩流社 2008,8,7 読了)