門倉貴史他『貧困大国ニッポン』

 『ルポ貧困大国アメリカ』を読んだばかりだが、貧困の悲惨さでは日本も負けていない。


 それにしても、ひどい国になってしまったものである。
 一億総中流社会と言われた時代が、今となっては、一番ましな時代だったのだと気がつく。

 ターニングポイントは中曽根内閣の時代だったわけだが、国民はどうして欺瞞や謀略や暴力の匂いのぷんぷんする中曽根政治をむしろ支持していたのだろう。
 国民が中曽根政治を容認した背景を、闘う側の弱点から解明しなければならない。
 自壊したかに見える労働運動の問題や、選挙のたびに広告代理店の思惑通りに投票する無党派層という問題などを厳しく分析すべきだ。

 本書は、日本の貧困者の証言集である。
 在日外国人や「不法」滞在外国人の証言は入っていないが、これらの人々は日本人以上に困難な暮らしを強いられているだろうことは推察に難くない。

 本書に登場する人々の多くは、年収100万円未満から300万円程度に位置している。
 世代にもよるが、ほとんどの人々は生きることができるかできないかの境界線上で生きている。
 将来の希望はなく、生きがいを感じることもできない。
 恐ろしいのは、この人々が怠惰や不幸・不運によってそのような境遇に陥れられたのではないということだ。

 特権階級に属しているか、特権階級に「口利き」してもらえる立場でもない限り、誰もが極貧状態に落ちる可能性がある。

 アメリカでもそうだが、これら貧困な人々の闘いは日本でもまだ、強力なものになっていない。
 貧困という問題は、特権階級の贅沢や飽食と裏腹の関係にある。

 特権階級がさらに利をむさぼるための勝手な制度改悪に抗議する声が小さいのはなぜだろう。
 現在の自民党政治を支えている人、死刑制度支持や犯罪の厳罰化をを叫ぶ人とはおそらく、貧困とは多少距離があると思っている非特権階級の人々ではではなかろうか。
 彼らは(自分もそうだが)、貧困は自分の問題ではないと思っており、貧困な人々が起こすさまざまな社会的事件をいまいましく思っている。

 特権階級たる大資本や政治家や官僚は、自分たちに矛先が向いてこないように注意しながら、勝手な制度改悪にいそしんでいられるというわけだ。

 このところ、破れかぶれ化した貧困者が起こす重大犯罪が続出している。
 生きさせろ、という闘いをさらに大きくしていかなければ、この国は救われない。

(ISBN978-4-7966-6403-5 C0236 \648E 2001,11 宝島社新書 2008,7,30 読了)