鎌田慧『原発列島を行く』

 フィリピン海プレートと太平洋プレートの沈み込みによって持ち上がったのが、日本列島である。
 急峻な地形は、活発な地殻変動と、暖流・季節風がもたらす大量の降雨によって、形成されている。

 そのような地形的特性を持つこの列島では、どのような暮らし方が似合っているのか。
 縄文時代以来、日本人にとって最大のテーマは、そのことだった。

 この問題に対し、もっとも優れた答案を書いたのは、江戸時代の為政者と各地の民衆だった。
 ここでいう為政者とは、徳川家のことではない。幕府で言えば勘定所に所属する、現場を知り尽くした能吏のことである。
 彼らは、日本の自然や生態系を持続させつつ同時に経済的成長をも追求する道を探っており、種々の処方箋を書いていた。

 勘定書から出された触れや著作物はもちろん貴重な到達点であるし、民間の学者たちによる農書のたぐいもまた、日本人の英知の結晶だったが、文字にされない知恵や技術は言い継がれ、教え継がれて近代に至った。

 明治の日本のもっとも大きな課題は、江戸時代に蓄積された生活のための知恵・技術をいかにして集大成するかという点にあったといえよう。

 しかし帝国主義の国際環境は、国民国家の形成を急がせるとともに、技術面に限ってのグローバルスタンダードの達成を急務とした。
 世界的な商品経済の中で生きていこうと決めた日本にとって、日本の環境に応じた暮らし方は放擲され、効率化や低コスト化が最重要課題となった。

 その流れは戦後に至っても変わらなかった。
 原発は決して低コストではないが、世界が原発建設へと流れていると考えた日本の為政者は、ためらわず原発建設を国策化した。
 かくて原発を建設することは、日本人が日本人らしい暮らし方を否定することと表裏の関係として進行した。

 原発は、その危険性の故に、沿岸の過疎地帯に立地した。
 いずれも、漁業や農業によって暮らしを成り立たせてきた、日本人の暮らしの根づいた地域である。

 原発は、これらの地域に札束攻勢をかけ、金銭感覚を麻痺させて、金に堕ちたものと堕ちないものとの対立を作りだし、日本人の生きる知恵の一つだった共同体を破壊した。
 原発建設に注ぎ込まれる莫大な費用は、地域が自立して生きていく力を失わせ、地域を麻薬同様の金銭中毒に陥れるが、その金は税金や電気利用者の使用料から支弁される。

 汚い金が、日本の各地で動いている。
 その金を払ったのは自分たちなのだから、やりきれない。

(ISBN4-08-720116-3 C0236 \700E 2001,11 集英社新書 2008,7,7 読了)