伊藤千尋『反米大陸』

 日本にいると、グローバリズムが世界を覆い尽くしているかに見える。
 しかし、日本の政府やマスコミが語ってみせる世界は、全体のごく一部に過ぎない。


 南アメリカと中央アメリカが、ここ数年の間に、急速に反米化した。
 キューバははるか以前から反米だったが、ベネズエラ(1998)を皮切りに、ブラジル(2002)、アルゼンチン(2003)、ウルグアイ(2005)、チリ・ボリビア・ペルー(2006)で、独立系政権が樹立された。

 かつてアメリカが自分の裏庭として扱ってきた国々が、一方的に収奪への異議申し立てを行い、自己主張を始めたようだ。
 反米への流れが定着するか否かは不透明だが、この傾向に必然性があるのは間違いない。

 アメリカによるアメリカ大陸支配は、フロンティアの延長上にある。
 メキシコからカリフォルニアを奪ったのち、アメリカは、中南米を事実上の植民地として扱った。
 運河が立地するパナマ、砂糖を供給するキューバ、バナナを提供するグアテマラなどがアメリカのいいように使われ、収奪された。
 アメリカの手先になることによって、そのおこぼれに与ろうとする売国奴がどこの国にもいて、表の世界だけでなく、裏世界の力をも動員して独立派を脅迫・殺傷しては、傀儡政権を作ってきた。

 アメリカがここで使ったのは、ありとあらゆる汚い手段だった。
 「自由」とはアメリカにとっての自由に過ぎず、民主主義とはアメリカ中心主義のことだったから、親米国は例外なく、独裁国家となった。
 アメリカにとって、アメリカに役に立つ限り独裁は、民主主義と同義なのである。

 独裁が民主であるという論理矛盾、そこに起因する理解しがたいダブルスタンダードは、アメリカの本質である。
 グローバリズムは、アメリカの資本の論理を世界中に広げようとするものだが、その行き着く先は悲惨な格差社会すなわち貧困そのものだということを、ヨーロッパあたりはすでに見抜いている。

 ロシアや資本主義中国の方がむしろ、経済成長の幻想にとらわれていて、経済的覇権の夢など見ているかも知れない。

 アメリカ的でない豊かな暮らしがありうるということに気づかない限り、世界の未来はない。
 中南米の実験が、人類の生きる道であるかも知れない。
 それくらいのまなざしを持って、反米諸国の行く先を見ていく必要がある。

 アメリカ合衆国そのものの正当性が否定されるのは時間の問題だ。

(ISBN978-4-08-720420-9 C0231 \700E 2007,12 集英社新書 2008,4,24 読了)