角田房子『閔妃暗殺』

 1895年に起きた朝鮮国王妃殺害事件に関する歴史ノンフィクション。
 この事件・この本に対しても、新右翼史観による攻撃がかまびすしい。


 19世紀の朝鮮では勢道政治と呼ばれる門閥政治が横行していた。
 久しく続いていた金氏の支配を覆したのが高宗王の父・大院君で、日本の院政にも似た彼の支配に挑戦したのが、門閥の一つである閔氏だった。

 外圧によって開国した日本は、明治維新を経てプチ帝国主義国として虎視眈々として朝鮮をねらっていた。
 ロシアをはじめとするヨーロッパ諸国も同様だっただろう。

 国際的環境が厳しくなる中で、閔氏支配はおそらく、局面を積極的に打開しようとするものではなかった。
 大院君にせよ誰にせよ、朝鮮の支配者たちはほとんど大同小異で、自分たちの特権を維持することができれば何でもよいという立場だった。
 開化派の金玉均らは、内政改革に日本の経済的・軍事的支援を求めるという禁じ手に手を出して失敗した。

 王族・貴族らが総腐敗するなかで、日本は朝鮮併合にむけた画策を着々と進めていた。
 ロシアに接近をはかろうとし、日本にとって障害となった閔妃は日本公使三浦悟楼らによって殺害され遺体は焼却された。
 閔妃の宿敵だった大院君は閔妃の身分をいったん剥奪したが、その後取り消され閔妃は明成皇后と贈り名された。

 以上が事件の概略である。

 この事件については、誰によって閔妃が殺害されたかという点をはじめとして、まだ不明な部分が少なくない。
 だが、上にまとめた事件の基本的構造が大きく変化するとは思われない。

 閔氏による政治が放縦で場当たり的だったのは確かだろうが、日本の外交官と民間人が共謀して朝鮮王宮を襲撃し、王妃を殺害した事実は、知っておきたい知識であろう。

 思い入れが多少気になる部分もあるが、閔妃の周辺から事件を理解できる好著である。

(ISBN4-10-325806-3 C0093 \1800E 1988,1 新潮社 2008,3,14 読了)