雨宮処凛『プレカリアート』

 プレカリアートとは、非正規雇用・派遣労働などに従事する人々及び失業者など、不安定な就業状態にある人々を意味する。

 日本がモノ余り国でなかった時代に、飢える心配はかなり現実的なものだったが、高度経済成長を経て食えなくなる可能性はほぼなくなったと思っていた。
 不敏にも、貧困とはむしろ、日本以外の国のことだとさえ、考え始めていた。

 この読書ノートで何度か書いたように、1980年代にイギリス・アメリカで始まった新自由主義経済が日本で本格的に導入されだしたのは1990年代半ばだった。
 著者によれば、1995年に日経連が出した「新時代の『日本的経営』」が出発点だという。

 これは労働者を「長期蓄積能力活用型グループ」「高度専門能力活用型グループ」「雇用柔軟型グループ」に区分し再編するというものだ。

 「長期蓄積能力活用型グループ」とは、会社経営の中枢部を形成するエリート層で、労働法制上の保護を引きつづき受けることができる人々である。ここに含まれるのは労働者のごく一部に過ぎない。

 「高度専門能力活用型グループ」とは、特定の仕事に関し突出した能力を持つスペシャリストである。ここに含まれる人々は、会社にとって必要不可欠な人々だが、必要なのは彼らの突出した能力だけだから、不定期雇用ないし裁量労働のように、徹底した成果主義的扱いを受ける。
 彼らの能力が低下したり陳腐化すれば、ただちに切り捨ての対象となる。

 「雇用柔軟型グループ」は一般的な労働者すべてが含まれ、かれらは文字通りいつでも交換可能な機械の一部として扱われる。
 どのグループの労働者も徹底的な競争原理のもとで互いを敵として競わねばならず、誰もが極限に至るまで身体と神経をすり減らす。

 新自由主義的労務管理とはおおむねそのようなものだった。
 これをうけて、本格的には労働面での「規制緩和」が始まり、小泉内閣ごろから問題点が噴出し、ーワーキングプア」の語が普通に使われるようになり、餓死者・自殺者・路上生活者が急増した。
 現在なお20〜30代の若者を中心に、膨大なプレカリアート層が危うい暮らしを続けている。

 無惨なことに、教育もまた、新自由主義的改革の対象となっている。くわしくは、『教育改革と新自由主義』などを参照されたい。

 近年の教育政策は、進学校・エリート大学でエリート層を育成し、実業高校・大学でスペシャリストを育成し、その他すべての学校で従順に働く一般労働者を育成するという路線を走っている。
 かつて教育の目的は個性の伸張だとされていたはずだが、「学校の生き残り」競争をけしかけられた末、現場は生徒・学生管理に多大な労力を費やさざるを得ず、生徒にも教員にも甚だしいストレス状況がもたらされている。

 著者の「声を上げよ」との言葉に共感する。

(ISBN978-4-86248-198-6 C0236 \780E 2007,10 洋泉社新書 2008,3,7 読了)